CompassPoint (コンパスポイント) ~若手社会人の情熱の魔法瓶~

What we do 活動内容

CP30



3月11日の震災から半年。震災後の状況から徐々に被災地は復興への道を歩み始めています。

コンパスポイントが従来から支援しているNPOロシナンテスは、宮城県名取市を拠点に瓦礫撤去や、寺子屋の設立と運営等の支援を震災直後から行っています。コンパスポイントのメンバーであるマイコ(山本真衣子)も、ロシナンテスのスタッフとして現地で精力的に活動しています。

NPO法人ロシナンテスのホームページ 

コンパスポイントでは、11月3日から6日までの4日間、総勢25名のメンバーでロシナンテスの活動に実際に参加してきました。被災地を自分たちの目で見て、肌で感じ、地域の方々と話をした上で、東京に住んでいる私たちが東北の復興のためにこれからなにができるのか、考えてきました。

コンパスポイントとして東京からどのようにロシナンテスの活動や被災地の方々のサポートができるのか、その具体的な方法はこれからメンバーみんなで考えていきますが、取り急ぎ、参加者がどんなことをしてきて、どんなことを感じたのかを4名のレポートでご紹介します。


11月3日 (1日目)  【文章提供:中村エリ】

初日の朝は仙台駅に集合。1日目からのキャンプ参加者は7名。11時ごろ仙台駅から名取市に向かい、まずは市役所の前で開催されているお祭りへ参加することに。その場でロシナンテスの川原さんとマイコちゃんに合流しました。

その日はお天気だったこともあり、また、名取市の復興を盛り上げようという掛け声のもと、大勢の人たちがお祭りに集まり、仙台名物の牛タン、イモ煮などを堪能しました。ロシナンテスのマイコちゃんは、「閖上にこんなに人がいるのを見たことがない!」と驚きの表情。餅まきやコンサートも楽しませてもらいました。



その後、ロシナンテスの活動拠点となっているロッシーハウスへ。



私はスーダンのロシナンテスの事務所兼宿舎も訪問させていただいたことがありますが、東北にも同じような事務所兼宿舎がりました!その名も「ホワイトハウス」?!

ロシナンテスのスタッフや瓦礫撤去のボランティアの方々が集い、食事を一緒にし、そして、雑魚寝(※男女別部屋)する場所です。ロッシーハウスでは閖上地区の被災前の写真を見せてもらい、そのイメージを頭に焼き付けた後、閖上地区(海岸沿い)の視察に行きました。
小学校に車を停めて、被災地である閖上地区を歩いてみたのですが、そこには以前人々の生活が息づいていたということを想像することが難しいぐらい、何もなくなっていました。

これから新しい地域をどう創りだしていくのか―その長いプロセスの一歩を現地の人々がどのように踏み出そうとしているのか、ロシナンテスに紹介してもらいました。

その後、ロッシーハウスに戻り、夜には、亘理の産業・観光を担当されている方にお話しを伺いました。観光資源をいかに活用し、東北に人を呼び込むか。また、農業を復興のドライブにするための知恵・アイデア等を紹介してもらい、亘理の秋の名物「はらこ飯」(生のイクラとサケの入った丼ぶりのようなもの)をいただきながら、キャンプ参加者と意見交換を行いました。



そして寝る前は、ロシナンテスのみなさんと瓦礫撤去のボランティアに来ているみなさんと一緒に団欒。



日本全国からボランティアの人たちがロシナンテスには集まっていますが、瓦礫撤去等の作業を現地のニーズに合った形で提供できるよう、現地との調整役・現地でのプラットフォームづくりを行っているロシナンテス。

型にはまらないロシナンテスの活動は、東北の復興のために様々な可能性を秘めているなぁと感じました。コンパスポイントとしても、これから中長期的にロシナンテスそして現地の方々と協力しながら東北の復興のためにどのようなことができるのか―このキャンプを通じて、そして、その後の東京での活動を通じて探って行ければと考えています。

11月4日・5日 (2日目/3日目)  【文章提供:榎本サイキ】

1. 瓦礫撤去活動

2日目の大部分と3日目の一部を使って、民家での瓦礫撤去活動を行いました。今回作業を実施したAさん宅は名取市では1件目の瓦礫撤去とのこと。名取市は海岸部の閖上地区が壊滅的被害を受けた為、新たな防波堤の建設や避難用道路の拡幅・増設、学校等の移転を含め大規模な区画整理を行った上で地域を再建する計画となっている。しかし何をどこに移転する、誰がどこに移転するかに関して住民間で意見が統一できておらず、依然再建計画が纏まらない状態が続いている。こうした状況下、一部の民家は掃除をすれば居住可能な状態で残っているものの、ばらばらと住民が戻り、部分的な再建が開始されると区画整理などを行うことが困難となるため、今でも閖上地区の大半は電気、水道などのライフラインも復旧させず、居住禁止状態が続いている。このため、屋外の瓦礫は重機を使用し、既に仮置き場まで撤去されているものの、屋内については手付かずで、名取市ではボランティアセンターの設置なども行っていない。

一方、仮設住宅は非常に狭く、宮城県では建設戸数を優先した為、断熱材が入っていない(これから冬に向けて順次改造予定)などの問題もあり、住居の残っている住民の間には、自宅に戻ることを希望する人も少なくないそうです。

Aさんのお宅は海岸から2km程離れており、周辺の民家は半数程度が全壊した地域にあるが、奇跡的に構造には被害がなく、清掃することにより居住可能な状態が保たれていた。しかし2m程度まで浸水し、1階の家具は全滅、また床下に大量の泥が溜まっており、これを取り除かなければ湿気で家が傷み住むことが出来ない状態となっている。

ロシナンテスの清水隊長以下の瓦礫撤去部隊、全国各地からボランティアに来ていた大学生3名と伴に、CPメンバーが2日目は7人が、3日目には20人が参加してAさん宅の瓦礫撤去作業を行った。

まず、1階に残る家具や瓦礫をすべて屋外に移動、そのうえで床板を剥がし、床下の泥を出して行く。床板を剥がすことが出来ない部分はヘルメットにマスク、ゴーグルを装着し、匍匐前進で床下に潜り込み泥を出す必要がある。床下には15cm程の厚さで固形化した泥が堆積しており、これを土嚢袋に詰めて屋外へ運びだす。湿った泥を詰めた土嚢袋は1つが10~20kgにもなり想像以上に重たい。しかも床下は狭い為、機械を入れることはできず、何トンもの泥を何百もの土嚢袋に詰めて、一つひとつ人力で屋外へ運ばなければならない。これは想像以上に過酷で果てしない作業だ。大勢で作業をしているにも関わらず、たった1軒の家の泥出しに何時間も掛かる。被災地に多いと聞く高齢者世帯ではこうした作業を自力で行うことは不可能だろう。そしてAさん宅は名取市で1軒目。被災地にはまだまだ無数の住宅でこうした地道な作業が必要な状況で残っている。一方、外部からの関心は日に日に薄れやってくるボランティアの数も先細りとなっている。いつまでこうした作業が続くのか、終わる日が来るのだろうか。瓦礫撤去は復興の最初の一歩だが、それでさえ十分には進んでいない。未だに続く、現実の大変さを思い知る瓦礫撤去体験となった。

大変な瓦礫撤去作業でしたが、CPメンバーは皆泥まみれになりながら黙々と作業をこなしました。今回過半数を占めた女性メンバーも重たい土嚢を運び、真っ暗な床下を這い回りさすがの働きっぷりでした。





ずっと現地で活動しているロシナンテスの瓦礫撤去部隊、繰り返し作業に参加しているボランティア大学生も多く、これまでロシナンテスの活動に参加した人数はユニーク人数で400人以上!海外では災害時に略奪が起こることも珍しくありませんが、日本では大挙してボランティアが押し寄せ、何も関係の無い人の家での過酷な作業に参加する。日本の良い面にも触れられた気がします。









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(Aさんからロシナンテスに寄せられた言葉)

震災からの気持ちの移りかわりを書きたいと思います。

震災直後家族の安否を心配しながら館腰小学校での生活が始まった。そこでの生活は規律正しい生活でした。そこでロシナンテスさんとの出会いがありました。皆さんそれぞれが生命、財産を無くしてしまい。お互いを励ましあいながら、共同生活を送りました。その時点では、皆さんと同じ境遇で。気持的には必死になっていた為、気持ちの変化は無かった。その後、体育館の生活が終わり、家族だけの生活が始まり。

その辺から気持ちの安定感を今思うと無くしてしまっていた。なんで助かってしまったんだろう?こんなに苦労しなくてすんだのにと思うようになったり、すぐに家族を守る責任があると思い直したりしたこともありました。1日のうちでも2、3回は気持ちが上がったり下がったしているのがわかった。特に上がっている時は気づかず、下がった時には何とかしないとという気持ちがあった。3ヶ月ぐらいかかって揺らぎが小さくなっていくのを実感した。そしてロシナンテスさんに瓦礫の撤去を相談して心よく受け入れもらい初の閖上第1号で瓦礫撤去をしてもらいました。

4日間で最大で、24人が集まった日もありました。そして一番驚いたことは皆さん若く、さらに私以上に一生懸命に床下に潜って泥を出してくれました。自費で東京、九州からやってきてまた来ますと言って帰っていった。私には全員、正義のヒーローに思えました。瓦礫がかたずくに従って、心の中の瓦礫もかたずいていきました。そんな時、マイナス思考になっている友達にはっきり、勇気ずける言葉とアドバイスが出来るようになれました。有難うロシナンテスとその仲間達。

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瓦礫撤去に参加したメンバーの感想  【文章提供:鈴木あゆみ】

私が実際に瓦礫撤去の作業を体験させて頂く中で痛感したことは、震災から8ヶ月もの時間が経過した今でも、やはりまだまだ支援が必要であることでした。今回私たちが体験したような、民家の床下に潜っての瓦礫撤去作業を、あと何十件、何百件もの世帯が行わなくてはならないのかと思うと、現地の人たちが以前のような暮らしをするには、まだ時間がかかることを感じさせられました。

また、本当に必要な支援や現地の状況については、TVや新聞ではなかなか伝わりにくく、普段首都圏で暮らす私たちにとっては、ボランティアとして現地に赴いたところで、自分には何もできることがないのだと震災の状況からは目を背けてしまいがちです。

私自身、今回のキャンプに参加するまで、現地の方々の痛みも分からない自分が、キャンプに参加したところで何もできないのではないかと、不安に思う部分がありました。加えて、震災から半年以上の時間が経過した今、社会の関心事の矛先が徐々に震災から離れつつあることも否めない事実です。

しかし、今回の瓦礫撤去作業をはじめとする支援の必要性を身を以て感じ、現地の状況やこれからの支援の必要性を、首都圏に暮らす人たちへの情報発信を行うだけでも、微力ではあっても力になれることを思うと、自分に何が出来るのかを考えさせられる体験となりました。

キャンプ3日目の夜には、瓦礫撤去作業を終えた後、現地の団体『がんばッと!!玉浦』の方々を囲んでの懇親会を行わせて頂きました。多くの方が亡くなった場所で、お酒を交わし、御馳走して頂くことに心苦しさを感じる部分も多々ありました。東京から現地のことを何も知らずに今回のプログラムに参加したことに対し、申し訳ない気持ちにもなりました。それだけ、被災地の状況を私たち首都圏からのボランティアに精一杯伝えようとし、語りかけてくださる現地の方の熱意に心を打たれました。

今回の体験を通じ、ボランティアやプロボノの活動を行うことで、自身の視野を広げることや、人生を豊かにするだけではなく、どのように社会に還元できるかを、強く考えるきっかけとなりました。

2. 寺子屋教室

仮設住宅は非常に狭く、子供たちが勉強に集中できる環境にありません。そこでロシナンテスでは仮設住宅の集会場を周り、子供たちの宿題サポートなどを行う寺子屋教室を行っています。

今回、CPメンバーは愛島仮設住宅での寺子屋教室を訪問し、小学生、中学生の勉強のお手伝いをさせて頂きました。が、十数年ぶりの中学数学、もうすっかり忘却の彼方でぜんぜんわかんなかったー! そこで中学生の指導は超一流国立大学を卒業した元勉強マニアに違いない優秀なCPメンバーにお任せし、僕は寺子屋教室の工藤先生に中学数学を教えて頂きました。先生、邪魔しに行って申し訳ありませんでした・・・でも、おかげさまで三角形の面積が計算できるようになりました!

寺子屋教室で印象的だったのは、子供たちが元気だったこと。トラウマを抱えている子供も少なくないのかなと訪問前はちょっと心配でしたが、今回寺子屋に来ていた小学生たちはめっちゃ元気!ぎゃーぎゃー走り回って、「きもいからあっち行け!」とか、失礼千万なやつらですが、元気いっぱいななのには安心しました。

工藤先生、これからも寺子屋頑張ってください!



3. 高野りんご園(亘理町)

仮設住宅に入居する高齢者などには日々することが何もなく、ひきこもり状態となっていることから、鬱等の問題も少なくありません。こうした問題に対応すべく、ロシナンテスが計画しているのが地元名産のイチゴやリンゴの栽培を通じた園芸療法。医師である川原さんを中心に、慶應大学医学部と共同でプログラムを開発中です。

今回はその調査の一貫として、宮城県南部に位置する亘理町の高野りんご園にお邪魔しました。ここの高野誠一園主がほんとうにすごい!ユニークな栽培法や新しい品種を次々と開発するのみならず、仙台の一流ホテルへの直販を始めているなど、生産者がここまでやるのかと思う活躍ぶりです。

面白い話を沢山聞かせて頂いたのですが、全部は紹介しきれないのでひとつだけ。リンゴも他の植物同様、リン酸、カリ、窒素がもっとも重要なのですが、こればかりだと何年かすると木が病気になってしまうそうです。そこで高野さんが開発したのが牡蠣殻を粉末化して与える方法。牡蠣殻に含まれる多様なミネラルがリンゴの木を元気にするそうです。宮城県松島の牡蠣は、地元の漁師さんたちが長年奥羽山脈の森を守り、そこから流れる滋味豊かな水がおいしい牡蠣につながっていることが有名です。つまりリンゴの木を元気にする牡蠣殻のミネラルは東北の森から来ているんですね。リンゴの木もリンゴばかりの環境で人工的な肥料ばかりでは育たない。森の栄養があって初めて元気なリンゴができるわけです。この話を聞いて、絶対不可能と言われた無農薬リンゴ、「奇跡のリンゴ」を実現した青森のリンゴ農家・木村秋則さんも「リンゴもリンゴだけでは生きられない。他の生き物と助け合って初めて生きていける。」とおっしゃっているのを思い出しました。植物も助け合えるコミュニティーが重要なんだ!

今回訪問した被災地はどこも農業が地域の基幹産業となっているところばかりですが、小規模な稲作など生産性の低い農業は震災前から限界が迫っており、今回津波により塩害を受けたところも多く、農業は大きな転換を迫られています。二人のリンゴの天才が見つけた真理には、これからの日本の農業を考えるうえでとても重要なヒントがあるように感じました。日本の農業はこれから本当に大変な時代になるのだと思います。でも、高野さんのようなクリエイティブな農家のいる限り、きっと次の時代を切り開けるとも思います。そこでもCPとしてできること考えて行きたいなと思いました。





11月6日 (4日目)  【文章提供:モリエミ】

最終日、朝6:00。

「おはよう!」

携帯アラームが一斉に鳴って不思議なメロディーを奏でる中、眠い目をこすりながら集合。これから津波で壊滅的な被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区の視察に行きます。

泊めていたお寺から車で向かうこと約20分、変わり始める窓からの景色に、次第に車内の話し声も止んでいきました。



車を降りるとそこは。辺りの景色に圧倒され、しばらくは言葉も出ませんでした。朝霧でぼんやり霞んだ空気と、むき出しになった土地。ざざざ、という風と波が交じり合った音。遠くに見える海はとても綺麗なはずですが、この場に立つと恐怖感を感じ得ませんでした。普段にぎやかなCPメンバーも、無言でただ周囲の景色を見ています。

古来この閖上の地は、「浜にいかだに乗った観音像が揺り上げられた」との伝説から,「ゆりあげ浜」と呼ばれていたそうです。 震災前には約7000人、2200世帯が住んでいらしたとのこと。きっと美しい地だったのだと思います。慰霊の札の立つ小高い丘から川原さんが説明して下さいました。



この地が再び色づいて、活気を取り戻すには、長い長い年月がかかるはず。そんな途方もない月日に思いを馳せていたら、1本の桜の木を見つけました。これは、地元の小中学生とロシナンテスが植えた桜の木。まだ小さいですが、すくすくと育っています。

いつかの春の日には、きっと桜色の花が咲き乱れるはず。小さな復興の希望を見た気がしました。



帰り際に朝市に立ち寄り、腹ごしらえをして、ワークショップの準備です。

地元の高校(県立亘理高校、県立宮城第一高校、仙台三桜高校)からの学生さん、そして大阪ロータリークラブからの特別ゲストを迎え、「これからの私」をテーマに話し合いました。

「大学は東京に出て一人暮らしをしたい。でも両親を地元に残すのは心苦しい」と話す高3の女の子には、「親は距離を置いた方が意外と関係がうまくいったりする。それよりも子供がやりたいことを見つけてくれるほうがずっと嬉しいことだよ。」と大阪ロータリーの方が父親の視点からアドバイス。「結婚と仕事のバランスに迷う」と言うCPメンバーなど、様々なコミュニティを超えた意見が飛び交いました。 



「これからの私、これからの亘理」について話し合った班では、「そのままの亘理が好き」と最後に地元の高校生がつぶやいたとのこと。震災に負けず明るく未来を語る高校生に、私たちもパワーをもらったのでした。



そんな感じであっという間に最終日も終わり、反省会を終えてメンバーは帰路へ。お世話になったロシナンテスの皆様、玉浦の皆様、温かい寝床を提供してくださった圓満寺さん、本当にありがとうございました。たくさんの「気づき」を胸にメンバーは東京へ。 

新幹線で約2時間。時間にするとあっという間ですが、どんどんネオンやビルが増えていく外の景色を見て、やっぱり東京都と被災地との物理的な距離、心理的な距離を感じずにはいられませんでした。震災から8ヶ月。まだまだ長い道のりかとは思います。でも今回がれき撤去をしていて気づいたこと。「少しずつでもみんなでやると、ちゃんとできる!」ということ。今回の体験をきっかけに、東京にいるメンバーにも出来ることを探していきたいと思います。

閖上にたくさんの桜が咲く日を、メンバー一同楽しみにしています!


(※すべる榎本サイキ)