CompassPoint (コンパスポイント) ~若手社会人の情熱の魔法瓶~ » Blog http://compasspoint.asia 「若手社会人の情熱の魔法瓶」をテーマに、勉強会やプロボノプロジェクトなどの活動を行うコミュニティのホームページです Mon, 05 Mar 2012 03:35:42 +0000 ja hourly 1 http://wordpress.org/?v=3.1.2 http://compasspoint.asia http://compasspoint.asia/wp-content/uploads/2009/11/favicon.ico CompassPoint (コンパスポイント) ~若手社会人の情熱の魔法瓶~ CP32「東北でのロシナンテスの活動を知り、東北とロシナンテスを応援しよう、の会」 http://compasspoint.asia/archives/1350 http://compasspoint.asia/archives/1350#comments Mon, 05 Mar 2012 03:23:40 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1350

2012年2月4日、今回は東北で被災地復興の活動をしているNPO法人ロシナンテスの大嶋一馬さんをお迎えして講演会+ワークショップの勉強会を行いました。ロシナンテスは第8回勉強会に理事長の川原尚行さんをお迎えしたこともあり、非常に長くお付き合いさせている団体です。今回も朝早くから40名くらいの参加者が集まって、とても盛況でした。

事務局のいいともによる「笑顔でハイタッチ!」の企画で全体の緊張がほぐれてきたところで、今回が大人数に対する講演会は初めてとなる大嶋さんによる講演が始まりました。


(講演前の大嶋さんと、今日はアシスタントの川原さん)


「縁」から「絆」へ ~東日本大震災におけるNPO法人ロシナンテスの活動と私~

現在45歳の自分が、約10ヶ月東北で活動してきたその記録をお伝えしたい。

NPO法人ロシナンテスという団体の説明

NPO法人ロシナンテスというのは、私が高校時代所属していたラグビー部の2つ上の先輩だった川原さんが始めた団体。もともとは川原さんが、外務省からの派遣で赴任したテロ支援国家に指定されたスーダンという国で現地人に医療活動をしたところ、医務官という立場ではそれができないと言われ、それだったら外務省を辞めて個人で医療活動しようと立ち上げた。とはいえ川原さんも一人だと何も出来ないので、福岡に帰ってきてラグビー部の後輩の協力を得て、スーダンでの活動をスタートさせることになった。それが、たまたま川原さんが東京にいたときに東日本大震災が発生し、とりもなおさず東北にいったため、今の東北での活動がスタートした。

スーダン滞在で学んだこと

訳あって5年前仕事を辞めたので、スーダンの川原さんの事務所に遊びに行った。イスラム教の世界では女性は男性の道具のように扱われていると感じ、最初はひどいと思ったが、一緒にしばらくいると女性たちが楽しそうに過ごしていると感じ「自分は自分の価値観で相手を評価している」ということに気付いた。あと、これまですごく汚れに対し神経質だったのだが、スーダンでしばらく生活することでそれが治ったのがとても印象深い思い出。



東北に行ったきっかけ

東北で活動しているのは名取市という宮城県の海近い場所。自分は震災時、福岡の小倉にいて、フリーライターの友人とコーヒーを飲んでいたが、友人の携帯に地震の速報が入り、「東北にいくから小倉駅まで送ってほしい」といわれ、車のラジオで東北に津波がきたことを知った。帰宅してテレビをつけると仙台空港に第1波が来ていた。自分はこれまでボランティアには興味も関心もない人間だったので、津波を見た瞬間も「これから東北は大変だな」と他人ごとのように思っていた。ところが、3月16日に、いまだに無職だった自分に川原さんから電話が来て「東北に来てくれ」と呼び出された。車などは同級生で事務局長の海原が用意してくれた。大量の燃料や食料、毛布などを満載にして2日間かけて宮城県名取市に入った。被災地に入ってすぐに震災の情景を目の当たりにしたが、自然の驚異に驚きを感じたほかは特に何かを感じることはなかった。

ラジオ体操で気付かされたこと

川原さんは巡回医療を避難所でやっていたが、避難所はかなり狭く、また、とても多くの人が亡くなったことから、震災直後は誰も笑うことができないような状態だった。このままでは折角助かった被災者の人が不健康になってしまうと思い、皆が体を動かす場を作ろうとラジオ体操をすることにした。すると初めて背中をそらした時に、皆からためいきと共に笑い声が漏れるのを聞いた。その声を聞いて自分は初めてすごく感じ入るものがあった。

初代瓦礫撤去隊長に突然の就任

川原さんは自ら避難所を回って診察していたが、自分は医者ではないので、送迎や身の回りの世話をするぐらいで基本的には暇だった。九州を出発するとき、「いつ帰ってくるの?」と妻に聞かれ「2週間くらいかな」と答えたのだが、それほど自分が必要な感じでもなかったので「そんなに長居はしないな」と思っていた。そんな頃、川原さんが「家が大変なことになっている」と被災地の人に相談され、「よし。オレが若い奴を集めて何とかするよ。一馬(大嶋さん)頼むぞ」といわれた。「自分は全然若くない」と思いつつ、3日間かけて作業道具を調達し、社会福祉協議会と打ち合わせをし、瓦礫撤去の初代隊長として活動するようになった。瓦礫撤去というのは最後には床下まで入って泥を撤去するところまでやって原則的に終了となる。90キロだった体重が78キロになった。

5月3日から瓦礫撤去を始めた山元町では、瓦礫撤去してくれた御礼といっておばあさんが休憩時間にハーモニカを吹いてくれた。70歳を超えたおばあさんだったが、新しい人が瓦礫撤去に参加するたびにハーモニカを吹いてくれた。演奏時間の分、瓦礫撤去の時間が減るのだが、毎回おばあさんがボランティアの人と触れ合うことで、励みになっているような気がして、それならいいなと思った。

瓦礫撤去をするときの依頼者の悩みは、「瓦礫撤去してもらってもし住まないということになれば申し訳ない」というものだった。自分は「瓦礫撤去してから住むかどうか決めればいい。瓦礫に埋もれたままの家だと住み続けるかどうか決められないのは当然だと思う」とお伝えして、撤去活動した。その依頼者の家は、大変きれいになったが、いまだに住むか決められないと聞いている。それほどひどい被害だったということだと思う。



ボランティアの受け入れと活動ルール

瓦礫撤去に参加してくれたボランティアとは皆寝食を共にした。今ロッシーハウスとして使わせてもらっている家は、圓満寺の住職が「2月から空き家で今後取り壊し予定の家があるから貸すよ」といってくださったおかげで住まわせてもらっている。その家があるからたくさんのボランティアを受け入れることが出来た。そんな経験から、想いだけあってもロジスティクスがそろわないと何も出来ないということに改めて気付いた。

ロッシーハウスのルールは2つだけ。「メシを一緒に食う」「年功序列」というもの。寝食を共にすると非常につながりが濃くなるので非常によかった。また、被災者の方々と話すときには「被災者と話して笑うことはOKだがスタッフだけ、で話して笑うのはやめよう」「写真をとるときにピースするのはやめよう」「撤去中に個人的な感想を言わない」ということを決めた。被災者の方の気持ちを思うとピースしたり、瓦礫撤去中に「くさい」「汚い」などを言うことはすべきではないと思ったため。

瓦礫撤去が終わると最後にボランティアと一緒に家の方にご挨拶するのだが、お返しをする被災者の方々が涙されることがあった。自分も一回だけ大泣きしてしまった。

お花見から桜の植樹へ

春になって、沈んだ被災者の気持ちを盛り上げるべく花見をすることにした。ロシナンテスが場所とお酒と食事を提供するので、被災者の方に参加してもらって皆で楽しもう、というのが普通のコンセプトだと思うが、我々はまずは自ら飲んで騒ぐということを実践した。不思議なものでそうすると周りの人もどんどん大きな声を上げて楽しむことができるようになっていった。

花見を通じて桜が人の心を動かすことが分かったので、子供たちと一緒に桜の木を植えようということになった。育つまで20年の時間が必要だが、そこまでちゃんと育てようと思い、日和山に一本植えた。植樹以来、何故か川原さんは断酒している。桜の花が咲くまで願掛けのために飲まないと決めたそうだ。



寺子屋事業から学んだこと

仮設住宅は狭く、子供たちが学習できる環境がないので、寺子屋事業をやることになった。、多くの子供たちに来てもらうため、子供たちと仲良くなることから始めた。田九段の子供に来てもらえないと、自己満足のためにやっていることになってしまう。開校式は盛大にやった。寺子屋を開いてみると、子供たちが震災で遅れた分、一生懸命勉強しようとしていることが分かった。

復興会議への参画

避難所には班長会議というのがあった。ただ話し合うのはもったいないので「ゆりあげ復興に向けた会議の場にしよう」と提案した。すると被災者の方から「復興への想いを忘れないために復興のシンボルとなるものを立てたい」と言われ、被災者と協力して、日和山に神社の神籬(ひもろぎ)と鳥居を立てた。次第に住民から「是非ロシナンテスも復興会議に参加して意見を言ってほしい」といわれるようになった。徐々に住民に溶け込んでいったように思う。

ゆりあげ・スーダン大運動会から学んだこと

震災で大きな被害を受けたゆりあげの子供たちも、南北スーダンに分裂したスーダンの子供たちも、お互いこれから子供が中心となって地域を盛り上げる存在という意味では同じステージにいるはず、と考えた。運動会には350名ぐらいの子供たちと住民が参加した。スーダンの子供は一列に並んだことすらなかったが、見よう見まねで言葉も通じないのに運動会を通じて日本の子供たちと意気投合していたのはびっくりした。演武披露では、スーダン・日本双方が歌の披露をしたのだが、ゆりあげのおばあちゃんがいきなり踊りだして、結局皆で自然な形で輪になって踊りだした。

運動会を通じて日本人は社会性を学んでいると感じた。日本文化の宝だと思った。最後にスーダン人を送り出すときにはあっという間に花道が出来上がった。それに感動するスーダン人も大勢いた。

芋煮会の狙い

被災地であるゆりあげ地区をどういう形で復興していくべきかについて、議論をしている。たとえば海沿いに防波堤となる高層マンションを建てようという意見もあり、住民としては色々と思うことがある。住民に調査したところ、住民の意向と市が打ち出す再建計画とは大きな相違があることが分かった。住民の意見を市の方針に反映させていくためには、名取市に対して皆でまとめて意見せねばと思うようになった。

同じころ、玄海島という約3年で復興した島があったので、復興の手法を学びにゆりあげの人と一緒に島に行った。彼らの復興手法は、大事な意思決定をする際には、700名程度いる全島民が集まって投票する、というものだった。じゃあそれをゆりあげでもやろうと思ったが、住民に呼びかけようと思っても個人情報を市は教えてくれなかった。2000人程度は仮設住宅に住んでいるのでアクセスはあるが、残りの4000人がどこに住んでいるか分からない状態だったので、これでは住民の大半にアクセスできないと思った。そこで芋煮会を実施し、参加した人に住所を教えてもらうことにした。テレビ・ラジオ・ビラ貼りなどをして集客した結果、約1000名に来てもらって名簿を作ることができた。

こうして色んなイベントをしていると、ボランティアひとりひとり、何か特技を持っていることが分かった。例えば自分は食品関係だったので、芋煮会では会のリーダーと食料調達などを担当した。芋煮会は津波から半年後に開催したのだが、この芋煮会で震災後、初めて知り合いに再会した人もいた。それだけでやった意味があったのではないかと思った。会の途中ではこどもたちがお遊戯したり、ゆりあげ小学校の校歌を現役・OB入り混じって一緒に歌うイベントをした。

それだけ盛況だった芋煮会だが、イベントが終わったら、被災者のメンバーはやる気を失ったように見えた。いわゆる「燃えつき症候群」だ。そこで川原さんから「それでいいのか」という問いかけを直接的な言葉ではないが何度かして、もう一度メンバーのやる気を醸成することができた。その結果、まずはゆりあげの復興新聞をつくろうという話になった。過去3回発行しているものを皆に配布したのでぜひ見てほしい。

自分が東北に居続ける理由

冒頭にも言ったが、自分はボランティア精神はないし、ボランティアをしているつもりはない。住民と一緒に活動しているだけ。では、自分はこの活動をなぜやっているかというと、「見てしまったから」としかいえない。川原さんがスーダンで活動していて同じようなことを聞かれたときに、「日本男児だから」と答えたと聞いたが、自分は「見てしまった以上、放っては帰れない。その気持ちが日本男児ということかな。」と最近ようやく理解できるようになった。自分としてはこれからも「他人はバカというかもしれないが、まっすぐに進むことができればいいな」と思っている。

ここで話は終わりだが、コンパスポイント事務局の小沼大地君に強くリクエストをされたこともあるので、最後に歌を歌いたい。ブームの「虹が出たなら」という歌。昔から好きだったが、なぜ好きか理解できなかった。自分の中には小さな正義感があって、それを今回少しは発揮できたと思うのだが、そういう潜在的な思いと重なっている歌かなと思う。歌詞に出てくる「虹」の部分を「希望」と置き換えて聞いてもらいたい。



「虹が出たなら」 THE BOOM

僕は何もあげられないから
一日中君の顔を きれいにみがいてあげる
ある朝君が死んで 一人ぼっちになっても
花のベッドで すりきれるまで
毎日みがいてあげる

年寄りが泣いている
子供たちがおびえてる
信じられるものが ひとつふたつ
僕らをとり残しても

虹が出たなら 君の家まで
七色のままでとどけよう



大嶋さんの講演は、とても力強くて真っ直ぐで、参加者全員の胸に突き刺さった印象でした。最後のギター弾き語りには、思わず目頭を熱くする人もいました。


第二部:ワークショップ
ワークショップは、ロシナンテスの方々とも相談して、以下の3つのテーマについてそれぞれ関心があるメンバーが集まって議論することになりました。

テーマ①: 東北の活動内容について初めて講演された大嶋さんに対して、講演内容をフィードバックし、3~4月に実施予定の大規模な講演会に向けて改善すべき点を提言

テーマ②: 従前は土日に東北にボランティアにくる人には瓦礫撤去活動に参画してもらっていたが、そろそろ瓦礫撤去が一段落するため、代わりに何をしてもらえばいいか、また、どうしたらボランティアがもっと増えるのか、についてのアイデア出し

テーマ③: 東京にいながらロシナンテスのために私たちができることは何か、震災を忘れないためにどうしていくべきか、についてのアイデア出し



以上で本日は終了・・・のはずでしたが、なんとロシナンテスのテーマソングともいえる「スマイル」を歌うシンガーソングライターのしおりさんがいらっしゃっていて、川原さんの発案で、会場にたまたま置いてあったピアノで弾き語りをして下さいました。



「スマイル」  しおり

その頬を涙でぬらさないで 君の心に光を

生まれた時から君はずっと 誰かに支えられて生きてきた
振り返って思い出してごらん 君は一人じゃないんだよ

雨が降らなくたって咲いてる花はあるから だから負けないで

君の笑顔が一番好きなんだ 君の笑顔がみんなを幸せにする
だから笑っていてこの青空の下で 君よ強くなれ

たとえこの先 君にどんな 辛いことがあったとしても
君の頬にまた涙が流れても ずっとそばにいるよ

太陽に向かって咲くあのひまわりのように さぁ前を向いて

君の笑顔が一番好きなんだ 君の笑顔がみんなを幸せにする
だから笑っていてこの青空の下で 君よ強くなれ

その頬を 涙でぬらさないで

君の笑顔が一番好きなんだ 君の笑顔がみんなを幸せにする
だから笑っていてこの青空の下で 君よ強くなれ

君の笑顔が一番輝く時 後ろを振り向かず歩きだせるだろう
だから笑っていてこの青空の下で 君よ強くなれ

だから笑っていてこの青空の下で 君よ強くなれ





大嶋さん、しおりさん、そしてロシナンテスの皆さん、
今回も本当にありがとうございました!

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CP29 「NPO法人クロスフィールズ設立記念パーティー」 http://compasspoint.asia/archives/1226 http://compasspoint.asia/archives/1226#comments Tue, 13 Dec 2011 10:42:38 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1226

コンパスポイントが始まってから、はや3年半が経ちます。

そして、ついにこの度、コンパスポイント共同代表の小沼大地(@daichi0715)と、
第1回からメンバーの松島由佳(@yuka_mat)が、事業を立ち上げました!

その名も、NPO法人クロスフィールズ

コンパスポイントとしても、引き続き2人の事業を熱く応援して行きたいと思い、
クロスフィールズの設立記念パーティーを開催しました。

当日は、総勢100人以上が集まり、クロスフィールズへ熱いエールを送りました。
当日の内容を、かいつまんで紹介します!



①クロスフィールズの紹介

新興国「留職」プログラムを展開するNPO法人クロスフィールズが、
2011年6月にいよいよ産声をあげました。

「枠を超える、未来を創る」という言葉をスローガンに、
これからの世の中に必ず必要となるであろう 「留職」という仕組みを
日本社会に浸透させていくというのが、この団体のミッションです。

2人ならきっと、応援する僕たちの期待に応えて頑張ってくれるはずです!

クロスフィールズのウェブサイト



②クロスフィールズ設立までの苦労話トークショー

アメリカへの出張の時に往復10時間かけて通勤した苦労話、
重要顧客との面談前に松島由佳の肩になぜかカナブンが止まっていた珍事件(笑)、
クロスフィールズのロゴ設立までの感動話などなどが、
クイズ形式で会場と共有され、笑いあり、共感ありの場となりました。

最後に、いらっしゃった皆さんと記念写真を!
撮影後、「頑張れよ!」「応援しているからな!」「あきらめるな!」等々の
エールの声が自然と沸き上り、2人の目が潤っていたのが印象的でした。

これからも、クロスフィールズを応援していきましょう!

みなさんも、是非、賛助会員への参加、宜しくお願いします!
☆賛助会員への申し込みはこちら☆


超満員の会場

テラスではBBQも!

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CP30 ROCINANTES CAMP in TOHOKU 2011                 ~東京にいる私たちになにができるかを考えよう~ http://compasspoint.asia/archives/1252 http://compasspoint.asia/archives/1252#comments Sun, 20 Nov 2011 12:23:08 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1252

3月11日の震災から半年。震災後の状況から徐々に被災地は復興への道を歩み始めています。

コンパスポイントが従来から支援しているNPOロシナンテスは、宮城県名取市を拠点に瓦礫撤去や、寺子屋の設立と運営等の支援を震災直後から行っています。コンパスポイントのメンバーであるマイコ(山本真衣子)も、ロシナンテスのスタッフとして現地で精力的に活動しています。

NPO法人ロシナンテスのホームページ

コンパスポイントでは、11月3日から6日までの4日間、総勢25名のメンバーでロシナンテスの活動に実際に参加してきました。被災地を自分たちの目で見て、肌で感じ、地域の方々と話をした上で、東京に住んでいる私たちが東北の復興のためにこれからなにができるのか、考えてきました。

コンパスポイントとして東京からどのようにロシナンテスの活動や被災地の方々のサポートができるのか、その具体的な方法はこれからメンバーみんなで考えていきますが、取り急ぎ、参加者がどんなことをしてきて、どんなことを感じたのかを4名のレポートでご紹介します。


11月3日 (1日目)  【文章提供:中村エリ】

初日の朝は仙台駅に集合。1日目からのキャンプ参加者は7名。11時ごろ仙台駅から名取市に向かい、まずは市役所の前で開催されているお祭りへ参加することに。その場でロシナンテスの川原さんとマイコちゃんに合流しました。

その日はお天気だったこともあり、また、名取市の復興を盛り上げようという掛け声のもと、大勢の人たちがお祭りに集まり、仙台名物の牛タン、イモ煮などを堪能しました。ロシナンテスのマイコちゃんは、「閖上にこんなに人がいるのを見たことがない!」と驚きの表情。餅まきやコンサートも楽しませてもらいました。



その後、ロシナンテスの活動拠点となっているロッシーハウスへ。



私はスーダンのロシナンテスの事務所兼宿舎も訪問させていただいたことがありますが、東北にも同じような事務所兼宿舎がりました!その名も「ホワイトハウス」?!

ロシナンテスのスタッフや瓦礫撤去のボランティアの方々が集い、食事を一緒にし、そして、雑魚寝(※男女別部屋)する場所です。ロッシーハウスでは閖上地区の被災前の写真を見せてもらい、そのイメージを頭に焼き付けた後、閖上地区(海岸沿い)の視察に行きました。
小学校に車を停めて、被災地である閖上地区を歩いてみたのですが、そこには以前人々の生活が息づいていたということを想像することが難しいぐらい、何もなくなっていました。

これから新しい地域をどう創りだしていくのか―その長いプロセスの一歩を現地の人々がどのように踏み出そうとしているのか、ロシナンテスに紹介してもらいました。

その後、ロッシーハウスに戻り、夜には、亘理の産業・観光を担当されている方にお話しを伺いました。観光資源をいかに活用し、東北に人を呼び込むか。また、農業を復興のドライブにするための知恵・アイデア等を紹介してもらい、亘理の秋の名物「はらこ飯」(生のイクラとサケの入った丼ぶりのようなもの)をいただきながら、キャンプ参加者と意見交換を行いました。



そして寝る前は、ロシナンテスのみなさんと瓦礫撤去のボランティアに来ているみなさんと一緒に団欒。



日本全国からボランティアの人たちがロシナンテスには集まっていますが、瓦礫撤去等の作業を現地のニーズに合った形で提供できるよう、現地との調整役・現地でのプラットフォームづくりを行っているロシナンテス。

型にはまらないロシナンテスの活動は、東北の復興のために様々な可能性を秘めているなぁと感じました。コンパスポイントとしても、これから中長期的にロシナンテスそして現地の方々と協力しながら東北の復興のためにどのようなことができるのか―このキャンプを通じて、そして、その後の東京での活動を通じて探って行ければと考えています。

11月4日・5日 (2日目/3日目)  【文章提供:榎本サイキ】

1. 瓦礫撤去活動

2日目の大部分と3日目の一部を使って、民家での瓦礫撤去活動を行いました。今回作業を実施したAさん宅は名取市では1件目の瓦礫撤去とのこと。名取市は海岸部の閖上地区が壊滅的被害を受けた為、新たな防波堤の建設や避難用道路の拡幅・増設、学校等の移転を含め大規模な区画整理を行った上で地域を再建する計画となっている。しかし何をどこに移転する、誰がどこに移転するかに関して住民間で意見が統一できておらず、依然再建計画が纏まらない状態が続いている。こうした状況下、一部の民家は掃除をすれば居住可能な状態で残っているものの、ばらばらと住民が戻り、部分的な再建が開始されると区画整理などを行うことが困難となるため、今でも閖上地区の大半は電気、水道などのライフラインも復旧させず、居住禁止状態が続いている。このため、屋外の瓦礫は重機を使用し、既に仮置き場まで撤去されているものの、屋内については手付かずで、名取市ではボランティアセンターの設置なども行っていない。

一方、仮設住宅は非常に狭く、宮城県では建設戸数を優先した為、断熱材が入っていない(これから冬に向けて順次改造予定)などの問題もあり、住居の残っている住民の間には、自宅に戻ることを希望する人も少なくないそうです。

Aさんのお宅は海岸から2km程離れており、周辺の民家は半数程度が全壊した地域にあるが、奇跡的に構造には被害がなく、清掃することにより居住可能な状態が保たれていた。しかし2m程度まで浸水し、1階の家具は全滅、また床下に大量の泥が溜まっており、これを取り除かなければ湿気で家が傷み住むことが出来ない状態となっている。

ロシナンテスの清水隊長以下の瓦礫撤去部隊、全国各地からボランティアに来ていた大学生3名と伴に、CPメンバーが2日目は7人が、3日目には20人が参加してAさん宅の瓦礫撤去作業を行った。

まず、1階に残る家具や瓦礫をすべて屋外に移動、そのうえで床板を剥がし、床下の泥を出して行く。床板を剥がすことが出来ない部分はヘルメットにマスク、ゴーグルを装着し、匍匐前進で床下に潜り込み泥を出す必要がある。床下には15cm程の厚さで固形化した泥が堆積しており、これを土嚢袋に詰めて屋外へ運びだす。湿った泥を詰めた土嚢袋は1つが10~20kgにもなり想像以上に重たい。しかも床下は狭い為、機械を入れることはできず、何トンもの泥を何百もの土嚢袋に詰めて、一つひとつ人力で屋外へ運ばなければならない。これは想像以上に過酷で果てしない作業だ。大勢で作業をしているにも関わらず、たった1軒の家の泥出しに何時間も掛かる。被災地に多いと聞く高齢者世帯ではこうした作業を自力で行うことは不可能だろう。そしてAさん宅は名取市で1軒目。被災地にはまだまだ無数の住宅でこうした地道な作業が必要な状況で残っている。一方、外部からの関心は日に日に薄れやってくるボランティアの数も先細りとなっている。いつまでこうした作業が続くのか、終わる日が来るのだろうか。瓦礫撤去は復興の最初の一歩だが、それでさえ十分には進んでいない。未だに続く、現実の大変さを思い知る瓦礫撤去体験となった。

大変な瓦礫撤去作業でしたが、CPメンバーは皆泥まみれになりながら黙々と作業をこなしました。今回過半数を占めた女性メンバーも重たい土嚢を運び、真っ暗な床下を這い回りさすがの働きっぷりでした。





ずっと現地で活動しているロシナンテスの瓦礫撤去部隊、繰り返し作業に参加しているボランティア大学生も多く、これまでロシナンテスの活動に参加した人数はユニーク人数で400人以上!海外では災害時に略奪が起こることも珍しくありませんが、日本では大挙してボランティアが押し寄せ、何も関係の無い人の家での過酷な作業に参加する。日本の良い面にも触れられた気がします。









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(Aさんからロシナンテスに寄せられた言葉)

震災からの気持ちの移りかわりを書きたいと思います。

震災直後家族の安否を心配しながら館腰小学校での生活が始まった。そこでの生活は規律正しい生活でした。そこでロシナンテスさんとの出会いがありました。皆さんそれぞれが生命、財産を無くしてしまい。お互いを励ましあいながら、共同生活を送りました。その時点では、皆さんと同じ境遇で。気持的には必死になっていた為、気持ちの変化は無かった。その後、体育館の生活が終わり、家族だけの生活が始まり。

その辺から気持ちの安定感を今思うと無くしてしまっていた。なんで助かってしまったんだろう?こんなに苦労しなくてすんだのにと思うようになったり、すぐに家族を守る責任があると思い直したりしたこともありました。1日のうちでも2、3回は気持ちが上がったり下がったしているのがわかった。特に上がっている時は気づかず、下がった時には何とかしないとという気持ちがあった。3ヶ月ぐらいかかって揺らぎが小さくなっていくのを実感した。そしてロシナンテスさんに瓦礫の撤去を相談して心よく受け入れもらい初の閖上第1号で瓦礫撤去をしてもらいました。

4日間で最大で、24人が集まった日もありました。そして一番驚いたことは皆さん若く、さらに私以上に一生懸命に床下に潜って泥を出してくれました。自費で東京、九州からやってきてまた来ますと言って帰っていった。私には全員、正義のヒーローに思えました。瓦礫がかたずくに従って、心の中の瓦礫もかたずいていきました。そんな時、マイナス思考になっている友達にはっきり、勇気ずける言葉とアドバイスが出来るようになれました。有難うロシナンテスとその仲間達。

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瓦礫撤去に参加したメンバーの感想  【文章提供:鈴木あゆみ】

私が実際に瓦礫撤去の作業を体験させて頂く中で痛感したことは、震災から8ヶ月もの時間が経過した今でも、やはりまだまだ支援が必要であることでした。今回私たちが体験したような、民家の床下に潜っての瓦礫撤去作業を、あと何十件、何百件もの世帯が行わなくてはならないのかと思うと、現地の人たちが以前のような暮らしをするには、まだ時間がかかることを感じさせられました。

また、本当に必要な支援や現地の状況については、TVや新聞ではなかなか伝わりにくく、普段首都圏で暮らす私たちにとっては、ボランティアとして現地に赴いたところで、自分には何もできることがないのだと震災の状況からは目を背けてしまいがちです。

私自身、今回のキャンプに参加するまで、現地の方々の痛みも分からない自分が、キャンプに参加したところで何もできないのではないかと、不安に思う部分がありました。加えて、震災から半年以上の時間が経過した今、社会の関心事の矛先が徐々に震災から離れつつあることも否めない事実です。

しかし、今回の瓦礫撤去作業をはじめとする支援の必要性を身を以て感じ、現地の状況やこれからの支援の必要性を、首都圏に暮らす人たちへの情報発信を行うだけでも、微力ではあっても力になれることを思うと、自分に何が出来るのかを考えさせられる体験となりました。

キャンプ3日目の夜には、瓦礫撤去作業を終えた後、現地の団体『がんばッと!!玉浦』の方々を囲んでの懇親会を行わせて頂きました。多くの方が亡くなった場所で、お酒を交わし、御馳走して頂くことに心苦しさを感じる部分も多々ありました。東京から現地のことを何も知らずに今回のプログラムに参加したことに対し、申し訳ない気持ちにもなりました。それだけ、被災地の状況を私たち首都圏からのボランティアに精一杯伝えようとし、語りかけてくださる現地の方の熱意に心を打たれました。

今回の体験を通じ、ボランティアやプロボノの活動を行うことで、自身の視野を広げることや、人生を豊かにするだけではなく、どのように社会に還元できるかを、強く考えるきっかけとなりました。

2. 寺子屋教室

仮設住宅は非常に狭く、子供たちが勉強に集中できる環境にありません。そこでロシナンテスでは仮設住宅の集会場を周り、子供たちの宿題サポートなどを行う寺子屋教室を行っています。

今回、CPメンバーは愛島仮設住宅での寺子屋教室を訪問し、小学生、中学生の勉強のお手伝いをさせて頂きました。が、十数年ぶりの中学数学、もうすっかり忘却の彼方でぜんぜんわかんなかったー! そこで中学生の指導は超一流国立大学を卒業した元勉強マニアに違いない優秀なCPメンバーにお任せし、僕は寺子屋教室の工藤先生に中学数学を教えて頂きました。先生、邪魔しに行って申し訳ありませんでした・・・でも、おかげさまで三角形の面積が計算できるようになりました!

寺子屋教室で印象的だったのは、子供たちが元気だったこと。トラウマを抱えている子供も少なくないのかなと訪問前はちょっと心配でしたが、今回寺子屋に来ていた小学生たちはめっちゃ元気!ぎゃーぎゃー走り回って、「きもいからあっち行け!」とか、失礼千万なやつらですが、元気いっぱいななのには安心しました。

工藤先生、これからも寺子屋頑張ってください!



3. 高野りんご園(亘理町)

仮設住宅に入居する高齢者などには日々することが何もなく、ひきこもり状態となっていることから、鬱等の問題も少なくありません。こうした問題に対応すべく、ロシナンテスが計画しているのが地元名産のイチゴやリンゴの栽培を通じた園芸療法。医師である川原さんを中心に、慶應大学医学部と共同でプログラムを開発中です。

今回はその調査の一貫として、宮城県南部に位置する亘理町の高野りんご園にお邪魔しました。ここの高野誠一園主がほんとうにすごい!ユニークな栽培法や新しい品種を次々と開発するのみならず、仙台の一流ホテルへの直販を始めているなど、生産者がここまでやるのかと思う活躍ぶりです。

面白い話を沢山聞かせて頂いたのですが、全部は紹介しきれないのでひとつだけ。リンゴも他の植物同様、リン酸、カリ、窒素がもっとも重要なのですが、こればかりだと何年かすると木が病気になってしまうそうです。そこで高野さんが開発したのが牡蠣殻を粉末化して与える方法。牡蠣殻に含まれる多様なミネラルがリンゴの木を元気にするそうです。宮城県松島の牡蠣は、地元の漁師さんたちが長年奥羽山脈の森を守り、そこから流れる滋味豊かな水がおいしい牡蠣につながっていることが有名です。つまりリンゴの木を元気にする牡蠣殻のミネラルは東北の森から来ているんですね。リンゴの木もリンゴばかりの環境で人工的な肥料ばかりでは育たない。森の栄養があって初めて元気なリンゴができるわけです。この話を聞いて、絶対不可能と言われた無農薬リンゴ、「奇跡のリンゴ」を実現した青森のリンゴ農家・木村秋則さんも「リンゴもリンゴだけでは生きられない。他の生き物と助け合って初めて生きていける。」とおっしゃっているのを思い出しました。植物も助け合えるコミュニティーが重要なんだ!

今回訪問した被災地はどこも農業が地域の基幹産業となっているところばかりですが、小規模な稲作など生産性の低い農業は震災前から限界が迫っており、今回津波により塩害を受けたところも多く、農業は大きな転換を迫られています。二人のリンゴの天才が見つけた真理には、これからの日本の農業を考えるうえでとても重要なヒントがあるように感じました。日本の農業はこれから本当に大変な時代になるのだと思います。でも、高野さんのようなクリエイティブな農家のいる限り、きっと次の時代を切り開けるとも思います。そこでもCPとしてできること考えて行きたいなと思いました。





11月6日 (4日目)  【文章提供:モリエミ】

最終日、朝6:00。

「おはよう!」

携帯アラームが一斉に鳴って不思議なメロディーを奏でる中、眠い目をこすりながら集合。これから津波で壊滅的な被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区の視察に行きます。

泊めていたお寺から車で向かうこと約20分、変わり始める窓からの景色に、次第に車内の話し声も止んでいきました。



車を降りるとそこは。辺りの景色に圧倒され、しばらくは言葉も出ませんでした。朝霧でぼんやり霞んだ空気と、むき出しになった土地。ざざざ、という風と波が交じり合った音。遠くに見える海はとても綺麗なはずですが、この場に立つと恐怖感を感じ得ませんでした。普段にぎやかなCPメンバーも、無言でただ周囲の景色を見ています。

古来この閖上の地は、「浜にいかだに乗った観音像が揺り上げられた」との伝説から,「ゆりあげ浜」と呼ばれていたそうです。 震災前には約7000人、2200世帯が住んでいらしたとのこと。きっと美しい地だったのだと思います。慰霊の札の立つ小高い丘から川原さんが説明して下さいました。



この地が再び色づいて、活気を取り戻すには、長い長い年月がかかるはず。そんな途方もない月日に思いを馳せていたら、1本の桜の木を見つけました。これは、地元の小中学生とロシナンテスが植えた桜の木。まだ小さいですが、すくすくと育っています。

いつかの春の日には、きっと桜色の花が咲き乱れるはず。小さな復興の希望を見た気がしました。



帰り際に朝市に立ち寄り、腹ごしらえをして、ワークショップの準備です。

地元の高校(県立亘理高校、県立宮城第一高校、仙台三桜高校)からの学生さん、そして大阪ロータリークラブからの特別ゲストを迎え、「これからの私」をテーマに話し合いました。

「大学は東京に出て一人暮らしをしたい。でも両親を地元に残すのは心苦しい」と話す高3の女の子には、「親は距離を置いた方が意外と関係がうまくいったりする。それよりも子供がやりたいことを見つけてくれるほうがずっと嬉しいことだよ。」と大阪ロータリーの方が父親の視点からアドバイス。「結婚と仕事のバランスに迷う」と言うCPメンバーなど、様々なコミュニティを超えた意見が飛び交いました。 



「これからの私、これからの亘理」について話し合った班では、「そのままの亘理が好き」と最後に地元の高校生がつぶやいたとのこと。震災に負けず明るく未来を語る高校生に、私たちもパワーをもらったのでした。



そんな感じであっという間に最終日も終わり、反省会を終えてメンバーは帰路へ。お世話になったロシナンテスの皆様、玉浦の皆様、温かい寝床を提供してくださった圓満寺さん、本当にありがとうございました。たくさんの「気づき」を胸にメンバーは東京へ。 

新幹線で約2時間。時間にするとあっという間ですが、どんどんネオンやビルが増えていく外の景色を見て、やっぱり東京都と被災地との物理的な距離、心理的な距離を感じずにはいられませんでした。震災から8ヶ月。まだまだ長い道のりかとは思います。でも今回がれき撤去をしていて気づいたこと。「少しずつでもみんなでやると、ちゃんとできる!」ということ。今回の体験をきっかけに、東京にいるメンバーにも出来ることを探していきたいと思います。

閖上にたくさんの桜が咲く日を、メンバー一同楽しみにしています!


(※すべる榎本サイキ)

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CP28 「船橋力社長と自分自身の5年後について考え・語ろう、の会」 http://compasspoint.asia/archives/1182 http://compasspoint.asia/archives/1182#comments Mon, 11 Jul 2011 22:17:25 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1182

信じられないくらいの蒸し暑さだった7月10日(日)、例によって休日の朝からコンパスポイントの集いが開催されました。今回は「船橋力社長とともに自分自身の5年後について考え・語ろう、の会」ということで、株式会社ウィル・シードの船橋力社長をゲストスピーカーに迎え、40人ほどの仲間が集まって語り合いました。いつも以上に、なんとも盛大な会になりました。当日の様子、お伝えします!


~ 第1部 ゲストスピーチ ~

▼船橋力さんについて

伊藤忠商事にて、1年間のジャカルタ駐在(ジャカルタで初めての地下鉄を通すプロジェクト等に従事)も含めて6年間勤めた後に、株式会社ウィル・シードを設立。現在は社員40名強で設立12年目を迎える。小さい頃から海外経験が豊富で、3-7歳までアルゼンチンのブエノスアイレスに過ごし、高年間はブラジルに住まれていた。そのbackgroundもあって、現在は国際的な活動もしており、ダボス会議(年に一回世界中のリーダーが集まって世界のことを話し合う会議)で、Young Global Leader(通称:YGL)に選ばれて活躍もされている。ちなみに2人の御嬢さんのお父さんでもある。

船橋さんの詳しいプロフィール



▼小さい頃の原体験

ウィル・シードとは、企業の人材育成/企業変革や、子ども・学校教育のためのプログラム提供(600校くらいの実績)、企業のグローバル人材採用・育成支援等を行っている会社。船橋さんの海外経験と親からの教育という二つの原体験が、起業という道を選んだことに繋がっている。

船橋さんのご一家はクリスチャンであり、船橋さんはそれが嫌であった。「自立しなさい」「色々な世界を見なさい」が親からの教えで、「自立」するため、高校受験から、受験するときは土下座しないとできない、10円安い牛乳を1時間歩いて買いに行かされる、私立大学行ったら差分は自分のバイト代で払う、等厳しく育てられた。

また、「世界の色々なところを見る」ためにブラジルにいる時も、スラム街でのボランティアなど、色んな経験をさせてくれた。そんな中、海外で受けた自分の学校教育が、日本のものと違う(幼稚園でも、子供が自分でバザーを企画して行う等、体験して興味をつけてから学ぶ、という経験をたくさん行った)ことから、「体験が大事」「教育を変えたい」という気持ちを強く持つようになった。

▼学生時代の「体育会での経験」と「大きな失恋」

大学では体育会に所属し、副主将だったけど怪我をしてしまい、自己管理がなっていないと邪見にされたこともあった。更に悪いことに所属していたにチームの雰囲気も悪くなってしまったが、それを改善するための力も大学生の時の船橋さんは持ち合わせておらず、衝突した同じ幹部メンバーを論破することも出来ず、一つの挫折を味わった。

更に同じ時期に、当時の彼女に「自分の軸がない」という理由で魅力がないからと振られた。その二つの挫折経験から、自分の軸を持とうと、大学生の卒業旅行にて欧州、アフリカ、東南アジアなどのべ10カ国を旅行して世界を見ることで自分の知見を深め、軸を確認しに行った。フィリピンのスラム街でホームステイしたり、逆に大金持ちの人などと接してみたり。日本の方が物質的に豊かだけど、途上国の方が、心が豊かのように感じた。色んな人と話し、自分を深め、「お金だけが幸せじゃない」「南北問題」といったことを改めて考え、そのことが過去の自分の経験が繋がって、社会問題に興味を持つようになった。



▼伊藤忠での経験と、貿易ゲームとの出会い

社会人になり、伊藤忠時代に、LPCという異業種交流会を実施した。大学時代に世界を旅行する中で気づいたことを、周りに伝えてもなかなか伝わらず、やはり人は「体験」がないと、気づかないものなのだと痛感していた。

そんな中、「貿易ゲーム(現:SEEDという研修に改定。その原型)」と出会い、楽しくて疑似体験も出来るこのゲームを日本で広めたいと思い、交流会でこのゲームを実施していた。メールもない当時は集客に苦労したが、きっかけとしてクラブでイベントを企画し、その参加者の中から勉強会の参加者、またもう少し深く一緒にボランティア活動をする参加者を増やすといった工夫をしていた。そのようにして、真面目に勉強する人と、イベント好きな人と交流させていくことに成功した。

LPCの当時のウェブサイト

▼伊藤忠との別れと起業

3000人のネットワークを交流会から築いたものの、大人への教育ではなく、子どもの学校教育から実施すべきなのでは、と思い、当時ベネッセにいた友達と起業をした。やりたいことが見つかったということもあるが、正直に言うと伊藤忠の仕事への不満足感から転職や起業を考えた面もあったと思う。仕事のゴールが純粋に途上国支援がしたいという考えの自身と純粋な営利最優先の組織的な目的意識の違いの点だと当時は感じた。居心地が悪かったところもあった。やはり教育をやりたいという気持ちで起業した。

とはいえ最初から起業するつもりではなく、事業アイディアを形にしてくれる企業がないかと営業兼転職活動をした。教育に大事なのは"教育思想=理念“と“楽しさ“だと信じる中、"楽しさ”を強烈なブランドに持つと世界的な大手電機メーカー等に売り込みに行っていたが、断られる日々であった。でもある人との出会いから、「自分でやる=起業」ということを考え始めた。最終的に伊藤忠でのNY転勤か、起業との選択になったが、幸いにして貯金もあったし、結婚もまだであったので、今しかないと、29歳のときに起業。

▼ウィル・シードの立ち上げから軌道に乗るまで

教育は「理念」「楽しさ」「共感」。その思いを胸に最初は四ツ谷にある10畳一間から始めた。最初はなかなかうまくいかず、「株式会社で教育は無理」「ゲームで教育はできない」「子供の教育では無理」と否定され続け、そしてとうとう倒産もしかけてしまった。

そんな中、ボランティアで子どもに教育プログラムをしているときに、気づいたことは「子どもは大人の背中を見ている」こと。大人が元気にならないと、子どもが元気にならないことに気付いた。そこで、企業向けに営業も始めることに決めた。

そしてソニーと出会い、ソニーの人事担当者にSEEDを体験してもらったことが、翌年の新人研修の受注につながり、そこから事業がうまく回り始めた。二年目は100社に広がりと、どんどんと事業が拡大していった。

それが記事になり、それを見た経産省の人から「それだけ企業で上手くいっているんだから、子どもに向けた教育プログラムもやりましょう」と声をかけられた。面白いもので、そんな経緯で最初にやりたかった学校教育事業をスタートさせることができた。



▼これからのビジョン

昔は日本が世界からすごく注目されていて、みんなこっちを向いてくれていたが、今は誰も興味を持ってくれていない。YGL関連で参加したハーバードのケネディスクールのリーダー合宿でも、日本の話題は出ない。そのギャップがショックであった。今の経済市場はほとんど南半球で起こっている。「日本はアジアの病原だ」とさえも言われている。日本はガラパゴス化していて、日本では海外のニュースも流れない。まさに「情報鎖国」という自覚を持つべき。

そういった問題意識を持ちながらも、日本は日本のやり方で世界に貢献できることもあると考えている。日本の「調和」を重んじる心など、大事なものはあるので、そのような日本の大事なものをきちんと世界に輸出しないとまずい、という気持ちでこれからのウィル・シードの事業やその他の活動を作り始めている。

夢はグローバル人材を育てるJリーグのような制度を作ること。小さい頃からサッカーを練習する子どもが増えれば、日本のサッカーチームが強くなるように、日本でも小中学校のときからも海外にいくような仕組みを作ることで、日本人のもともとあるポテンシャルを引き出し、日本のグローバルでの競争力もあがると、そうなるように新しい事業を作っている。

そういう背景もあり、今は、日本人をグローバルに通用する人材に育てていくことに尽力している。例えば、他のヤング・グローバル・リーダーズの仲間たちとともに、東日本大震災の被災児童に対してリーダーシップ教育を行う「BEYOND Tomorrow」や、グローバル人材育成のためのFundである「GiFT」などを推進している。

「教育支援グローバル基金 BEYOND Tomorrow」
「世界に通用する人材育成プランGiFT」



Q&A

Q:中学生くらいのときに”国際化”が流行ってきた。まだ進んでいないのは何が足りないからだと考えるか?

A:誰も本気になっていないから。「globe」で考えないと、なんともならないということの危機意識を持っていない。なぜ日本の企業は日本人だけでしかチームを作ろうとしないのか。去年の今頃は本当に見向きもされなかったが、今年の頭、そして3.11以降、いっきに「やらなくちゃまずい」に変わってきた。海外進出する企業数も増えている。

Q:株式会社として経営することと自分のミッションとのジレンマはないのか?

A:利益追求しないといけない部分もあるが、工夫は出来る。社内NPO、のような形で「タダで売るコンテンツ」と「売れるコンテンツ」を分ける、等。商品1つとっても、分け方等の工夫は出来る。ウィル・シードを辞めて、自分で5つくらいプロジェクト立ち上げた方が世の中にインパクト与えられるな、とジレンマを感じることもあるが、ウィルシードがあるからこそできることもあると思っている。

Q:日本の大学の学ぶ意欲の少なさがこれから日本に影響を与えるのではないか?

A:大学では、どういう問題意識を持つことが大事。海外では、終身雇用も新卒採用もない。新卒から中途と戦っていかないといけないと思うと、大学の過ごし方が変わる。経団連に提案しているのが、1年目に内々定させて、その後の過ごし方、成果によって4年目に本内定もらうために何をするか、等のことをしてもいいんじゃないか、とも考えている。その方が、学生は、目的意識を持ち努力するのではないかと思うから。仕組みとして変えていくための提案もしている。

Q:情報の鮮度を保つために心がけていることは?

A:情報収集では、大きく3つのことを心がけている。
・自分でとりにいく:iPhone買って海外のニュース見る
・取るならばいっきに取る:今回、先進国と新興国を含め12か国をいっきに周って、マクロ的な関係を見てきた。そうすると自分で予測できるようになる。
・人の話を信じる:自分で見ないと信じない、もあるが、3人くらい同じことを言っているなら信じてみる。だいたい言ってることが当たる人(感度がいい人、とかちょっと先を行っている人、を選ぶ)のことは信じる、等人を選んで、信じて情報の鮮度をあげる工夫をしている


~ 第2部 ワークショップ ~



ゲストスピーチに続いて、「5年後の自分の姿」について語るワークショップを実施。4人1組に分かれて、順番に自分将来の姿について語りました。

ただし、単純に語り合うだけではないです。

1人6分間与えられ、この時間内で自分の将来像について話します。そして、その間は、他の3人はとにかく聞き手に徹します。コメント、質問があっても発言NG。この6分は、スピーカーに与えられた6分なのです。スピーカーは、自分の過去、現在、未来、自分の原体験、思い、夢、プライベート、結婚、子ども等々・・・色んなテーマで話していました。そして、スピーカーが6分間話した後は、それを聞いていた3人がコメントし、フィードバックします。この4分間の間は、今度は逆にスピーカーだった人が喋っては駄目です。とにかく、3人のフィードバックを聞くのに徹します。

スピーカーからは、「6分は、意外と長い」という声も多かったです。時間が余ると、自分が今まで考えてなかったことを気づいたら声にしてみたり、、、、色んな気付きがあったようです。あとは、自分の考えや想いを改めて声に言葉にしてみると、意外な気付きがあったとのコメントもありました。普段、なかなか自分の5年後の姿について、真面目に話す機会ってないですもんね。

そして、フィードバックもとても有意義だったようです。自分の言葉がどう伝わるのか、あるいは伝わらないのか。異なる視点、考えに触れるいい機会だったようです。

参加者の多くから、「素敵な企画だった!!」とのコメントをいただきました。
運営側としても、とっても気づきの多いワークショップでした。



ゲストとしていらっしゃって下さった船橋さん、参加してくれたみんな、本当にどうもありがとうございました!!また会いましょう!!

追記;
最後に、船橋さんから後日届いたメッセージを添付します。

+++

先日はとても問題意識の高いメンバー、そしてオープンな方が多い場で個人的に非常に楽しませて頂き誠にありがとうございました。時間的な制約で全員の方とはお話し出来ませんでしたが、これも縁だと思いますのでまたの機会にお会い出来ることが出来たらと思います。

皆さんの世代が間違いなく日本の10年後をつくります。是非周囲を巻き込んで是非一緒に自分と周りの人の未来を創ることをしていきましょう。 応援しています。そして私も頑張ります。

最後になりますが、twitterをやっていらっしゃる方は是非フォローをお願いします。
(情報源としてお勧めです!)

それでは、また!

ウィル・シード 船橋 力 ( 船橋さんのTwitterアカウント: c_funabashi


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CP27 いよいよCP発の事業がスタート!?さぁ、みんなで事業プランをボコボコにしよう!の会 http://compasspoint.asia/archives/1154 http://compasspoint.asia/archives/1154#comments Mon, 09 May 2011 17:17:40 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1154

コンパスポイントの第27回が2月27日(日)@JICA地球ひろばで開催されました。

今回はゲストを迎えるのではなく、本格的に事業立ち上げを計画している
CP代表の大地くん、そしてCPメンバーのゆかちゃんを中心としたメンバーが事業プランを発表し、
それをみんなでボコボコにしようという、コンパスポイントらしい、温かくて熱い会でした!

事業立ち上げメンバーの想い

まず、メンバーたちがなぜ事業立ち上げに踏み切ったのか、また、
なぜ事業立ち上げに協力しようと思ったのか、それぞれの背景を語りました。

ゆかちゃん 『世の中のNPOに対する見方が変わってほしい』

自分の父親が本業とは別にカンボジアの医療支援活動を行うNPOの活動をしており、定年退職してからもNPO代表理事として活き活きと活動する姿をみて、かっこいいと思った。一方、NPOが課題解決の為の熱い想いや尊いビジョンを持っていても、課題解決策を実行するにあたり、人材や資金といったリソースがないと何も始まらず、資金の集め方やメディアの使い方についてはもっと工夫があるのではないかと感じた。社会人になり、戦略コンサルティング事業会社にて社会人としてのスキルを学びつつある中、コンパスポイントの勉強会をきっかけにNPOに対するプロボノ活動を行うようになり、ビジネススキルを持った人がNPOに関ることでNPOの事業成長へ繋がることを実感した。しかし、NPOで働きたいと思っている人や関わっていきたいと思っている人は多い一方、必ずしもそのリソースをNPO側が活用しきれていない“勿体無さ”といことを感じた。

大地くん 『日本の社会人に「枠」を超えた原体験の機会を提供したい』

大学を卒業後、普通に就職するという進路を選ばず、青年海外協力隊に参加という道を選んだ。そこで、自分がこれまで日本社会で学んできたこととは全く次元の違う、自分の人生の方向性を決めるような経験に数多く出合った。中でも大きかったのは、ドイツ人のビジネスコンサルタントが現地NGOの代表として活躍していた姿だった。この姿を見て、国際協力とビジネスとの間に接点があることに気付かされ、帰国後は自身も戦略コンサルティングファームに就職することとなる。すると、今度は協力隊時代に培ったコミュニケーション能力やゼロからイチを作り出す力が日々の業務の中で大いに生きることを感じ、NPOの世界とビジネスの世界での双方の経験が大いなるシナジーを持つことを再確認した。こうした経験から、日本人がキャリアの中で何かしらの枠を超えるような経験を積む機会を提供したいと思うようになる。

ウッチー 『もっと多くの人が興味持って社会参加できる世の中にしたい』

高校時代に何かよく分からないけど毎月500円を寄付しなければいけない寄付活動に疑問を感じ、もっと皆が興味持つように、面白く寄付活動した方がいいのではないかという思いから自らチャリティー活動を実施し、100万円を集めた。この経験を通じ、もっと多くの人が面白いと興味を持って社会貢献活動に参加できるようにしたいと思った。そして多くの人を巻き込みながら自分の想いをカタチにしていくことに面白みを体感。大学時代はそうした自分の想いをカタチにしていくにはどうしたらいいのだろうと様々なキャリアを考えながら、1冊の本『チェンジメーカー』(著:渡邊奈々)と出会う。その後『チェンジメーカーⅡ』の政策アシスタントして国内外の社会起業家インタビューを行い、そこで出会った社会的な活動を仕事として取り組む人たちの志の高さとビジネススキルを屈指して社会課題解決に向けた取り組みを行っている人たちに刺激と感銘を受けた。就職活動時には、社会課題を解決していきたいと志す同世代に数多く出会い、利益ばかりを追求する働き方を見直す機運の高まりを実感。自身もまずはビジネススキルを身に付けようと現在のキャリアを選択。現在身に付けたビジネスのスキルを使いながらプロボノやNPO活動を経験し、手応え感を得る。一方、社会貢献を直に感じるNPOやNGOでの職をいざ探そうと思うと、情報が不足していたり・・・と中々実態が見えない状況であり、転職するとなるととてもハードルが高いことを実感した。



実現したい世界のビジョン

続いて、立ち上げる事業を通して実現したい世界のビジョンについて、ゆかちゃんから説明がありました。

~全ての人が、やりたいことを実現するために、垣根なく自由にキャリア選択をできる社会を創る~

学生の頃描いていた夢を、社会人になり、ビジネスの世界でビジネススキルを学びながら実現していく中で、自分自身のキャリアをもう一度見つめ直したときに、営利セクターだけでなく、NPO/NGOなどの非営利セクターも夢を実現していくためのキャリア選択の一つとして存在し、営利/非営利の隔たりなく自分の力を試す機会や夢を実現させていけるようなキャリア選択ができる世の中になっていてほしい。そしてNPO/NGOで身につけたスキルや気づきを再びビジネスの世界で活用できるような世の中を創っていきたい。

事業のミッション

~非営利セクターの人材面での強化~

非営利セクターを魅力的なキャリア選択の一つになるよう、非営利セクターの持つ現在の課題を解決し、事業面/人材面において強化された組織にしていきたい。

「組織内にビジョンはあるものの、ビジョンに沿った具体的な事業/アクションプランが十分でない」⇒「事業/アクションプランが明確でないため資金が集まらない」⇒「資金不足で採用にお金がかけられず求める人材を獲得できない」⇒「そのため事業が進まない」⇒「描いていたビジョンに対し社会問題への課題解決が進まない」といったマイナスの循環があるため、組織として脆弱となっているというのが非営利セクターが持つ現在の課題。このマイナスの循環を、事業戦略と人材の強化によってプラスの循環に変えていきたい。

~非営利セクターの社会的役割・認知度や働く場所としての価値の向上~

上記の非営利セクターの強化が進むことによって、今まで異質な世界だと思われがちだった非営利セクターの社会的役割や認知度が向上し、多くの人に働く場所として価値を見出してもらえるような世の中にしていきたい。例えば…就職ランキングトップ10に大企業と並んで、NPOがランクインされていたり、NPOを企業とのコラボやJV設立などが活発になっていたり、官民連携だけでなく、官民NPO連携が進んだ世の中を目指していくことで、これから直面する社会的課題を解決していくことを目指したい。



事業の概要

上記のようなビジョン・ミッションを実現していくために行う4つの事業について、ゆかちゃんと大地くんから説明がありました。詳細はまだまだ変わっていくこともあるということで、ここでは項目だけ書きます。

①非営利セクターへの転職支援:
非営利セクターで働きたい個人、採用を考える非営利セクターとのマッチング

②非営利セクターに対する事業コンサルティング:
非営利セクターに対して事業計画の策定や事業収入拡大戦略等の戦略コンサルティング

③非営利セクター職員の企業就職支援:
NPO以外の収入源となる就労先企業の紹介サービスやNPOならではのスペシャリストの就労支援

④企業から非営利セクターへの出向:
主に人材育成を目的とした、企業/行政に対するNPOへの出向プログラムの提供



ワークショップ ~みんなで事業プランをボコボコにしよう!~

第2部として、具体的な事業プランについて4つのテーマに分かれてワークショップを行いました。具体的な内容まではここには書きませんが、沢山のボコボコポイントとその改良点を頂きました。参加者の皆さんは企業で働く人、NPO法人で働く人、青年海外協力隊に行ってきた人、転職を考えている人等々、本当に様々なバックグランドを持ったメンバーでした。

自分たちだけでは中々持つことが出来なかった視点から様々なコメント及びアドバイスをもらい、改めてコンパスポイントのパワーに感動しました。どうかこれからも応援宜しくお願いします!!



文責:ゆっこ

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CP26 「ホームレスチーム『野武士JAPAN』とフットサルをしよう」 http://compasspoint.asia/archives/1127 http://compasspoint.asia/archives/1127#comments Wed, 02 Feb 2011 15:00:43 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1127

企画の背景

昨年末のCP25で決めた2011年の活動方針の1つは、
「みんなでサッカーがしたい」というものだった。

そこに、「ホームレスフットサルワールドカップ2011パリ大会」を目指す
BIG ISSUEが率いるホームレスフットサルチーム「野武士ジャパン」から
コンパスポイントへ交流戦の申し入れがたまたま舞い込んだ。

そんなことから、この企画は始まった。

BIG ISSUEについて、詳しくはこちら



当日やったこと

2011年1月29日(土)@四ツ谷ひろば

BIG ISSUEのホームレスフットサルチーム「野武士ジャパン」対
コンパスポイント有志メンバーでのフットサル対抗戦。互角の戦いが続く。

そして、最後は両軍入りミックスでの交流戦。
ホームレスの方々と同じチームで戦うのはとても新鮮な体験。

試合後は、野武士の選手たち、BIG ISSUEスタッフの方々、
コンパスポイントのメンバーでワイワイ昼食を食べながら、
ホームレスサッカーワールドカップの映像を見たり、
ホームレス問題についてのワークショップを行った。



企画者(川瀬)の感想

見事なまでに今までに無い経験をすることが出来たと思う。

ホームレスの方々とは話したことがなかったし、
ビッグイシューの存在は知ってたけど買ったことは無かった。

正直なところ当日、すげー緊張もしてたし(笑)。

ただ、「無かった」ってのがが、
今回交流戦をやりたいと思ったモチベーションの1つだったのも事実。

これから街でビッグイシュー販売員見かけたら、絶対買っちゃうな。

昼食会の時に見せてもらった
前回のホームレスフットサルワールドカップ(ミラノ大会)の映像はすげー熱かった!

スポーツを通じて社会復帰を目指す野武士の姿!
やっぱスポーツって最高だね!

※ BIG ISSUEさんのブログにも当日の模様をアップして頂きました!

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CP24 CP Summer Camp 2010 http://compasspoint.asia/archives/1089 http://compasspoint.asia/archives/1089#comments Thu, 23 Sep 2010 13:54:57 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1089

2010年8月28-29日、今年の夏の締めくくりのイベントとして、
CPファミリー有志で群馬県みなかみ温泉へとキャンプに行ってきました!

最高に楽しかったこのイベントを、3人の参加者の文章で振り返ってみます。

① 1日目前半 ~農業体験~ (文章提供:りょう)

8月28日早朝。

思った以上の人でにぎわっている新宿にメンバーが集合。

いくつかの初めましてを経て、お手頃サイズのバスに乗り込みました。 運転手さんも距離感が近すぎず、通すぎず絶妙ないい人で一同一安心して出発です。 高速に乗り込んでちょっとたった頃、結構渋滞か?と思われたときにカズと諒がおもむろに立ち上がって喋り始めそのままコントへ突入。

彼らとしては絶妙なアイスブレイクのつもりが、後ろまで声が届かないという致命的なミスで、いまいちドカンと盛り上がらないスタートになってしまいました。

でもそこでめげないのがCPのいいところですね。2人一組になっての他己紹介では、なぜか全員が好みのタイプを暴露するなどあっと言う間に和気あいあいな雰囲気に包まれました。



向かった先は群馬県利根郡みなかみ町。
敬ちゃんこと杉木敬太郎さんがあったかく皆を迎えてくれました。



杉木さんはその周辺では一番の耕作面積を持つ農家さん。仕事の傍ら、お米や野菜を創りつつ、今回のCPメンバーのように農業に興味を持った人の受け入れを行っています。

敬ちゃんの言葉の中で「自分たちが一生懸命に作った野菜が20円で買われていく。それが東京じゃ80円で売れてるのも知ってるんだ。けどどうしたらいいのか分からない」というのと「農業は我慢が大事。丹精込めて育てても、一日の台風で台無しになることもあるんだよ。」という言葉が、特に非常に印象的でした。



いいものを心を込めて作っている人がいるのに、それが正しい形で消費者に届いていない。

この現状はメンバーたちも非常に考えさせられたところだったんじゃないか、と思います。日本はすごく狭いようで、まだまだ埋めるべきギャップが沢山あるんだな、ということを実感しました。

敬ちゃんち特製の山菜炊き込みご飯となす、カボチャ、鮎の塩焼きを皆で頬張ったあとはお待ちかねの収穫体験。ビニールハウスのトマトをもいでそのまま食べたり、みょうがはどうやってとるのか学んだり、カボチャはどれがおいしいのか見極め方を習ったり。 東京だと色々と手が加わって口に届く野菜も、地面からもいだときが間違いなく一番うまかったです。



最初は遠慮がちだったみんなもがんがん取っては食べ、この後BBQなんて入るのか??と心配になるくらいでした。敬ちゃんの言葉を受けて、こういう人がちゃんと評価されて、感謝される仕組みって世の中に作れないかな、とちょっと思案顔もちらほらメンバーの中に見えながら、 豆粒みたいにちっちゃくなってもてをふってくれていた敬ちゃん一家にお別れをしてキャンプ場に向かいました。




② 1日目後半 ~テント組み立て、キャンプファイヤー~ (文章提供:てづか)

農業体験を終え、一路キャンプへ。

早速、3チームに分かれてテントを立てるところからスタート。Kingカズが独断と偏見で選んだ豪華賞品(渋谷デパ地下で一番高いお肉)をかけて、テントを完成させるスピードを競いました。

マニュアルをきちんと読むチーム、自分のテント経験に頼りマニュアルを無視するチームとテントの立て方も様々。テントを一つ立てるだけで、チームワークが形成され、チームの個性が出ることを実感。



テントを開設した後、幻のドロケーを経て、暗くなる前にBBQの火起こしをスタート。

灯油とバーナーで勢いよく火をつけるも炭に火が届かないトラブルもありましたが、隣にいた熟練キャンパーの方にも手伝って頂き楽しいBBQをスタート。農業体験で収穫したなす、じゃがいも、ししとうなどの野菜に加え、デパ地下肉も堪能。それにしても取り立ての新鮮な野菜は美味でした。

BBQも火をつけたり飯盒をチェックしたりワークする人、周りではしゃいでいる人、飲んでChillする人と楽しみ方が千差万別。BBQ一つにメンバーの個性が出ることを実感。




しばしお酒を飲みながら、星を見たり、怪談話をしたりとリラックスした後、夜のメインコンテンツであるキャンプファイアーへ。火を見てテンションが上がったのか、マイムマイムのOriginal Ver.で踊りだす一同。



サプライズで誕生日を祝われるメンバー。
トライアスロン競技者ということで、自転車のユニフォームがプレゼントされました。



色々と盛り上がりながらも、最終的にはコンパスポイントの特徴である語りモードへ。

コンパスポイントをどうしていきたいか、これからどう運営していくのが良いのか、につきチームに分かれて会話。若手社会人の勉強会としてスタートし、何となく皆で同じものを心に描けていた時期から、徐々にメンバーのライフステージが変化し、それぞれのモチベーションが変わっていくことを踏まえ、今あるAssetを生かしつつ今後どんな形でコンパスポイントを運営していくのが良いのかについて話し合いました。

キャンプファイヤーの火が消えても、議論は止まらず、夜は更けていきました。




③ 2日目 ~ラフティング~ (文章提供:ゆか)

目覚まし時計の音ではなくて、朝日と、鳥の鳴き声で迎える2日目の朝は、
みんなでヨガをして心身ともに気持ちの良い目覚めとなった・・・らしいです。
(私はちょっと寝坊して、ヨガに参加できなかったのです笑)

朝食は、昨日の飯盒炊爨で炊いたご飯のおにぎりに加えて・・・



デザートは、なんとスイカでした!
但し、スイカ割りゲームの勝者しか、食べる権利が貰えないという、
朝から熾烈な戦いを繰り広げる私たち・・・

一発目から的中させる人も、


まったく的外れなところで振り落とす人も、


割れたかどうか判定する人も、


全てはスイカをほおばるために、頑張りました。
でも、結局はみんなで仲良く食べました!


思い出いっぱいのキャンプ場を後にし、
2日目のメインイベントは、ラフティング@利根川です。

関東平野全域を潤す利根川の水源は、実はここ、群馬県みなかみ町にあるんです。
今年の夏は雨が少なかったこともあり、水量こそ少なかったですが、
パドルで漕ぎながらの激流下りは、スリル満点でした!

美しい渓流の景色を楽しみつつ、水の掛け合いバトルをしてびしょ濡れになったり、
渓流に架かる橋から落ちてくるバンジージャンプの人に驚いたり、
途中の岩場でボートから降りて、崖から川へダイブする度胸試しをしたり、
まさに大自然を満喫できるアクティビティでした!!


旅の最後を飾るのは、
ラフティング後の心地よい疲労感を癒す温泉と、
空腹を満たす、そばランチでした。

群馬県最北の地だからか、新潟名物の「へぎそば」が食べられるお店で、
冷たいそばをすすりつつ、昼からビールを飲む幸せを堪能したのでした・・・☆

(↑飲めない2人)


さきほど下った利根川の渓流が目の前に広がる露天風呂で、さっぱり汗を流した後、
帰りのバスの中では、もれなく皆、爆睡して、東京に帰ってきたのでした。


あっという間の2日間も終わり、楽しかった夏の休日は、記憶に残る思い出となりました。

大好きな仲間と、大自然の中で、食べて、語って、飲んで、笑って、同じ時間を過ごすのは、本当にかけがえのない、幸せなことだと感じる、そんな2日間となりました。

個人的には、幹事の彩希さん(下の写真の左側)の気配りっぷりに感動しまくったので、
MVPは勝手に彼に捧げます!


コンパスポイントが生まれてもうすぐ3年とのことですが、最初は、たまに会って語り合う「友達」の集まり、だったかもしれませんが、一緒に過ごし、語り合う時間が増えていき、お互いの繋がりが深まって、「仲間」と呼べる人が増えていくのは、最高です。



刺激的な人の集まる東京にて、議論を重ねるコンパスポイントも、学びに満ちてとても楽しいですが、こんな風に、自然に囲まれた中で、体を動かしたり語ったりするコンパスポイントも、また違った学びに溢れ、とっても良いものですね!

また行きたいね!!

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CP23 「僕たちが日本の教育のためにできること」 http://compasspoint.asia/archives/1062 http://compasspoint.asia/archives/1062#comments Sun, 22 Aug 2010 13:55:40 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=1062 2010年7月31日(土)青山スタジオプレイスにて、Teach for Japan準備会の松田さんを迎えて第23回コンパスポイントを開催しました。「Passion(情熱)で教育は変わる」という信念をもっていらっしゃるだけあって、流石という感じの大きな声と熱い想いが一杯詰まったお話をして下さいました!

1. 松田さんのお話
2. Teach for Japan準備会が目指すもの
3. 質疑応答
(↑クリックすると各コンテンツに飛びます)



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中学校の時に先生と一緒にいじめを乗り越えた経験から教師になりたいと思いまいた

僕は日本大学文理学部体育学科を卒業しました。教員を目指した理由は、中学生の時に身体的ないじめを受けていたことです。毎日毎日、休み時間に、柔道部の同級生が僕の教室までやってきて、柔道技をかけてくるというとても苦しい経験をしました。学校に行きたくない気持ちで一杯だったけど、数少ない友達に支えられて何とか学校に通っていました。

そんなある日、学校の先生から「松田、最近調子はどうだ? イジメってなんでおこるんだろうね?たぶん99%はいじめる子が悪いと思うが、いじめられる子も1%ぐらいは原因があると思わないか?。一緒にその原因は何か、どうすれば松田がいじめられなくなるのかを考えてみよう」と言われました。そこから先生は自分と一緒に一生懸命考えました。僕が標的にされるのは、身体的に他の人より小さいからではないか?小さいのが問題であるならば、身長を伸ばすために牛乳を沢山飲んでみないと!カルシウムだけだと駄目だからマグネシウムも採るためにココアも飲もう!最も身長が伸びやすい時間に寝ておくために夜9時に寝よう!というように、先生と一緒に色々と解決先を考えてそれを実践していきました。

これらの結果、身長が3年間で毎年10センチずつぐらい伸びていきました。大きくなるとともにいじめられなくもなり、そして筋力トレーニングなども同時に行っていたため、体がどんどん大きくなって行きました。このように小さな成功体験を積み重ねた結果、自分がどんどん変わっていくのを感じました。体育もどんどん好きになっていったし、高校では陸上部の部長も務めるほどになりました。

このように僕は中学校の先生のおかげで自分を変えることができたのです。そして、自分も誰かが変わる瞬間をサポートしてあげたい、ひとりでも多くの体育嫌いを体育好きにさせたい!と感じて体育教師を目指すようになりました。



教師になる夢をかなえたいと思って入った大学で、教職課程に疑問を感じました

自分は勉強嫌いで成績が本当に悪く、周りの人からは「大学受験は絶対に失敗する」と言われるほどでした。でも僕は教師になりたかったので、高校3年の夏に陸上部を引退した後、それこそ死ぬ気で一生懸命勉強に励みました。その結果、有名私学の商学部と日本大学の体育学科の2つから合格を勝ち取ることができました。

有名私学は力試しに受けただけだったのに、教師から「有名大学の方に進学するんだろ」と決めつけるように言われました。自分は体育教師を目指していると公言しているにも関わらず、そんなアドバイスをする先生がいることが許せなくて、なおさら教師になるという想いを強くしました。

こうして進学した大学でしたが、現場をほとんど経験しない教職課程に疑問を感じた結果、実践力をつけようと思って中学生向けの学習教室を開きました。そこでは勉強を教えるのではなく、高校受験に向けて皆のモチベーションを高めるために、皆と一緒に「なぜ勉強しないといけないのか?」「将来何をしたいのか?」を考えることをしていました。そうすると、子どもたちが自分のやりたいことをノートに書き留めるなど、どんどん変わっていきました。自分が何をやりたいのか?夢は何なのか?その夢や目標を達成するためにどうすればよいのか?大学進学?高校進学?どういう科目が必要なのか?という風に夢・目標をブレークダウンして考えれるようになりました。

このような指導を意識した結果、全員が自分の行きたい高校に合格することができたのです。こういう経験を積んで、やはり現場を経験することの大切さを肌で感じましたし、現場での経験をほとんど積むことができないまま教師になってしまう今の教職課程に非常に問題意識を感じるようになりました。



教師を2年間経験したが、自分で学校を建てようとHarvard大学に留学しました

大学卒業後は母校の中学校で体育教師になりました。そこで、普通の「授業」をしていては子どもの学習意欲を引き出す事ができないということに気づきました。また、気づきと同じように英語教育に対する疑問も感じるようになりました。英語教育に多くの時間とお金をかけているにも関わらず、ほとんどの日本人が英語を話せない今の英語教育に疑問を抱いたことから、英語で体育を教える授業を始めました。自分で言うのもなんですが、英語に対する苦手意識がなくなったと、生徒からの評判はすこぶる良かったです。

しかし、ある先輩教員からは「おまえは体育だけ教えていればいいんだ」と怒られてしまいました。他の先生に理由を聞いてみると、英語で体育を習う授業が面白くなると、相対的に英語の授業が面白くなくなってしまったからという理由でした。僕が工夫して授業をしているから、自分も工夫してより良い授業をやろう、という発想ではなく、出る杭を打つような先生の考え方がまかり通っているという現実を身をもって感じ、こういう組織にいてはいまいくら教育に情熱を持っていたとしても、そのうち情熱の火が消えてしまうのではないか、という危機意識を持つようになりました。

そして、自分は情熱を絶やしたくないから、自分で学校を作るしかない、と思うようになりました。では、学校を作るためにはどうすれば良いのか、と考えたところ、学校はある意味企業のようなものなのですが、実際にマネジメントができる人はほとんどいない、と思い当りました。だからこそ非効率的な学校が一杯あって、教師は大半の時間を子どもと接すること以外に費やさねばならなくなるのだろう、と思いました。

このような学校の仕組を変えるためには、自分はリーダーシップやマネジメント能力を身につける必要があると感じました。そこで、最先端の教育論を受けることができ、なおかつ、卒業後の進路を考えて、Harvard大学教育大学院に進学することにしました。



Harvard大学卒業後、一旦は就職したものの、Teach for Japan準備会を立ち上げました

Harvard大学を卒業して、ビジネスの経験を積もうと思って一旦大企業に就職しましたが、この4月に会社を辞めてNPO法人Teach for Japan準備会を立ち上げました。なぜ今辞めたかというと、これだけ思い切ったことができるのは、20代後半という年齢と、家庭がない今だけではないか、と思ったからです。そして、何よりも流れがきたと思ったからです。

帰国後、しばらく働きながら準備を進めていた時に、自分のやりたいことを周囲に伝えると、皆支援する姿勢を示してくれるものの、「じゃあ、いつ本気ではじめるの?」と聞かれるようになりました。それじゃあと思って、会社を辞めてNPOを立ち上げてみたら、本気になった途端に多くの人が自分に力を貸してくれるようになりました。

将来的に自分で何かをしたいと思っている人が多く集まっていると聞いているので、そんな皆さんにアドバイスをさせて頂くと、「今だ」と確信をもった瞬間に飛び出た方がいいと思います。もちろん上手くいく事ばかりではないので悩んでいるのなら辞めた方がいいと思います。実際に本気になって情熱をもって取り組んでみると、色んなチャンスが巡ってくると思いますので、是非皆さんもやってみて下さい。



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Teach for Americaの概要

ここで、Teach for Americaの概要を簡単に説明します。Teach for Americaは20年前に一人の女性が始めた取り組みで、貧困地区にいて教育に恵まれない子どもたちに、全米で最も優秀で最も情熱を持っている学生の授業を受けてもらうことで、教育水準をあげていこう、という取組みです。

その取り組みは今ではすっかり浸透しており、今年の文系大学生の就職ランキングでは、Teach for Americaが1位になるほどでした。Teach for Americaは学生を2年間学校に派遣する制度なのですが、その経験をした学生のうち66%がその後も教育に何らかの形で携わっており、また残りの34%は、様々な業種において組織のリーダーとして活躍しています。日本では、皆教育が問題だというけれども何かを変えようとしているわけではありません。

しかし、アメリカでは、優秀な若者が2年間を教育につぎ込んで肌で教育の重要性を感じた結果、各界に散らばった人々が起点となってアメリカ全土の教育改革が起きているのです。僕は、そんな取組みを日本でも再現したいと思ってTeach for Japan準備会を立ち上げることにしました。

Teach for Japan準備会の取組み

最後に、Teach for Japan準備会がこれから始めようとしている取組みについてご説明します。まず、今年、Summer Programをパイロット的にやる予定にしています。情熱をもった大学生をリクルーティングして、八王子の中学生を対象に授業をしてもらう予定です。大学生に対しては、プロ意識を持って、創造性豊かな授業を作りあげてもらいたいと考えています。

彼らが得られるお金の報酬はありませんが、その代わりに「社会人基礎力」を提供したいと思っています。外資系コンサルティング会社、教育委員会などの人に講師として参加してもらい、彼らから様々なスキルを教えてもらうことにより、「社会人基礎力」、具体的にはロジカルシンキング、リーダーシップ、プレゼンテーションスキル等が身につくようなプログラムにしたいと思っています。

僕は、次世代の教職員のための教育プログラムを作り上げたいと思っているのです。そして、いつかはこの「社会人基礎力」を教員の場にも定着させたいと思っています。しかし、このプログラムを経験した人たちが教職を選ぶ必要はないと思っています。なぜなら、教職に求められることもビジネスマンに求められることも一緒だと思っているからです。だけれどもこのような取組みが上手くいくようになれば、将来的には教育水準に恵まれない子供たちに対して、質の高い教育を提供していくようなことができるのではと思っています。

今後は、教員に対する研修や、新入社員に対する研修なども行っていきたいと思っています。そして自治体などとも相談して、教員免許がなくても子どもたちに教えられるようなプログラムを開発したいと思っています。また、将来的にはJICAの青年海外協力隊に参加した隊員たちの帰国後の就職先支援もしたいと考えています。



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質疑応答

Q.先ほど「今だ」と思ってNPOを立ち上げたとおっしゃっていましたが、何に自信を持った瞬間にはじめられたのですか?

A.僕は事業に確信を持つ必要はないと思っています。なぜなら事業に関しては色んな人が助けてくれるからです。ですが、「自分はどんなことがあってもやりきれる情熱を持っているんだ」、ということを確信できることは非常に大切だと思っています。そうしなければ、色んな襲いかかってくる不安や困難に立ち向かっていけないからです。

Q.Teach for Americaはなぜそのまま日本に適用できないのでしょうか?

A.アメリカと日本の大きな違いは2つあると思います。アメリカは教員免許がなくても教えることはできます。さらに、アメリカでは教師不足の問題がありました。しかし、日本では教師になるには教員免許が必要だし、教師の倍率もまだ3倍ぐらいある状況です。この違いが非常に大きなハードルになると思っています。さらに、日本では新卒採用文化が根付いており、学生が2年間先生をするという仕組みが受け入れられにくい風土があるという問題もあります。また、他の要因としては寄付文化が根付いていないという問題があります。日本ではNPO=ボランティアという発想が未だにあり、そういう考え方も障害になると思っています。

Q.今の学校制度は、養護学校とそれ以外の学校に分類されています。日本でも徐々に統合する流れにあると思いますが、この動きの中でTeach for Japan準備会はどう絡んでいけるのでしょうか?また、生活保護にあるような人に対してどういう働きかけをするつもりなのか、考えていることがあれば教えて下さい。

A.端的に回答すると、養護学校に対する教育は考えていません。なぜなら、色んな人から色んなことを言われているのですが、全てを同時にすることはできないと思うからです。まずは自分がやりたいと思っている分野から始めていきたいと思っています。逆にあなたへのメッセージをお伝えすると、そういう問題意識を持っているのであれば、是非その問題に取り組んでみてほしいです。自分だけでできることは限られているので、是非お願いしたいです。

Q.Teach for Americaの成功要因の一つに、優秀な大学生を抱え込めたことがあると思います。それができた理由としては、彼らが何らかのプラスを2年間の経験から得ることができたからだと思います。それが何だったのか、教えて下さい。

A.今やTeach for Americaは人気就職ランキング1位のステイタスを持っていますが、始まった当初の20年前は得られるものは今とは違ったのだろうと思います。アメリカ人は愛国心が強い国なので、20年前の人たちは何かを得るために2年間を費やしたのではなく、国のために何かをしたい、という想いがあったのでTeach for Americaに参加したのではないかと思います。

Q.先生に情熱やリーダーシップが必要なのはその通りだと思います。しかし、2008年のTeach for Americaのメンバーは、参加者の8割が参加前にリーダーシップをとった経験があるという状況でした。これに対して、日本人はなかなかリーダーシップをとった経験がある人が少ないと思います。それらの人たちを短期間の研修によって変え、そして保守的な学校に対して戦っていけるとは思わないのですが、いかがでしょうか。

A.まだ実績はないですが、学校への派遣は1人ではなく、2~3人のチーム単位で派遣したいと思っています。さらに彼らにメンターなども付けることでサポートしていきたいと思っています。また、結果を出していくためには、リーダーシップをとった経験がある人たちを選抜することも重要だと思っています。最近の若者は話してみると意外と優秀なので、その辺は問題ないと思っています。

Q. Teach for Japan準備会はアメリカと違って派遣するターゲットを新卒だけでなく、若手社会人も含めたいということですが、その理由はなぜですか?

A.子どもの視点でいうと、実践が分かっている人から教えてもらった方がより学習意欲を刺激するのではと考えているからです。また、子どもには色んなロールモデルに出会ってもらいたいと思っています。若手社会人視点でいうと、今の企業ではリーダーシップやプロジェクトマネジメントなどを学ぶことはできても、実践する機会はなかなか巡ってこない状況です。そういう人がこのプログラムに参加することで、早くからリーダーシップを経験することができると考えています。

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CP22 「何が社会を変える力になるのか?」~伊藤 健さんを迎えて~ http://compasspoint.asia/archives/994 http://compasspoint.asia/archives/994#comments Sun, 20 Jun 2010 07:37:54 +0000 kazu http://compasspoint.asia/?p=994 CP22回は、ISLの伊藤健さんをお招きしました。

高校中退→GE→Social Venture Partners(SVP)→Institute for Strategic Leadership(ISL)へと独自のキャリアを築かれている伊藤さんに、今回は「何が社会を変える力になるのか?」というテーマに沿って、まずはご自身の生い立ちから始まり現在の取り組みまでお話頂き、あっという間の二時間半でした。

1. 問題意識の源泉としての原体験

官僚の家に生まれ、平穏な生活をしつつ、周りの友達と同じくするように進学校の高校に入学。刺激のない学校生活は眠い以外の何者でもなく、結局不登校がちとなり高校3年生の卒業前に退学。この出来事により親をはじめ世間の目の冷たさに直面することとなる。進学校の学生であった昨日までの自分と、中卒になった今日からの自分。「自分」としてはなんら変わりはないはずなのに、自分に注がれる世間の目は一日を境としてとてつもなく冷たいものに。世間でいう「あるべき像」から外れていることで実感した「疎外感」が、社会への関心を高め、その後の草の根の活動に繋がっていく。北朝鮮を題材としたプログラムに興味を持ち、ピースボートに乗船。その後国内の大学に入学し、NPO活動にスタッフとして関わり、台湾に留学。台湾では共産党活動に参加。大学卒業後、日系メーカーにて勤務するものの、物足りなさを感じることに。ピースボートに乗っていた時にはどんなに寝れない毎日が続いてもあんなに充実していたのに、なぜか?「生きている実感を持って仕事をしていく為にはどのようにすればよいか?」ということを考えていく中で、米国にMBA留学、帰国後はGE Internatinalにて2005年よりSocial Venture Partners東京(以下SVP東京)へパートナーとして参加。現在はISLに社会起業家養成講座等に参画。



伊藤さんがご自身で紆余曲折を経ながら、実際に身を持って体験したことで見出した問題意識が現在のお仕事に繋がっていく過程を話して頂き、皆自分のこれまでの原体験と照らし合わせながら話を聞いていました。続けて、伊藤さんの現在の問題意識である社会企業について、現状を共有・抱える課題を簡潔にお話頂き、前半とは打ってかわり専門的な話をして頂きました。

2. 伊藤さんが考える社会企業とは?

Social Venture Partrnersへの参画、現在のNPO法人ISLにて社会企業家向け養成プログラムを運営する伊藤さんが考える社会的企業とは?

社会的企業(Social Enterprise)の定義とは、各国/各団体によって様々な定義付けがされているが、「収益を生み出し、同時に社会課題の解決に貢献する企業」と考えている。社会的企業(Social Enterprise)を率いる存在の社会起業家(Social Entrepreneur)は、これまで解決されてこなかった重要な課題について、「構造的且つ持続的な社会変革をもたらすチェンジ・エージェント」としての役割が期待されている。

では何故今社会起業が注目されているのだろうか?

これまで社会の仕事は公共部門の仕事という認識がされてきていたが、公共部門によるアプローチだけでは社会が抱える多くの課題に対してアプローチしきれない現実がある。民間セクターの持つ強みであるスピード性・効率性が欠落していることに加え、官僚的組織の中では社会に変革を起こすのに必要なイノベーション的発想が生まれてこない。一方で、民間セクターが社会的課題にアプローチするとなると、営利企業故の一企業の独占・寡占や企業にとっての社会的コストが高くなることで競争力の低下を招くという弊害が生じる。

政府(公益機関)側からのアプローチでも、市場(民間セクター)側からのアプローチでも社会が抱える課題へのアプローチとして不十分。しかし、これを無視し続けることは出来ない。この社会の「構造的なゆがみ」が更に社会問題を生み出していくこととなる。

社会的起業の存在意義とは、この「構造的ゆがみ(Institutional Void)の是正すること」にある。政府部門、市場部門のシステムのゆがみを正し、新しい社会的仕組みや価値観を創出することが、この狭間(第三部門)を担う社会起業家に期待されている。

いかにSystemic Changeを起こしていけるのかが鍵!


  1. 「社会起業家」を支援する
Social Venture Partners東京(以下SVP東京)の取り組み -どのようなイノベーションを促進するか?

SVP東京:

ソーシャルベンチャー事業を、資金や経営ノウハウ、技術面から支援する事業を行っている「日本一のおせっかい集団」。SVP東京の目指すものは二つ。

革新的なソーシャルベンチャーの自立と、SVPの活動に共同参画するパートナーの自己実現。組合員(パートナー)個人が自らの動機や情熱に基づいて、資金のみならず、自分の持てる全てのリソース(時間・専門性)を提供することで、社会的な課題に対し革新的な進歩をもたらそうとする試みる事業(ソーシャルベンチャー)に対して支援を実施。

SVP東京の事業を通して目指していきたいこととは?

①    ベンチャー・フィランソロピー – 社会的価値と流通させる市場を作る

社会的インパクトは測定が難しく、通常の市場経済に乗せるとその価値を見える化出来ないことが多い。この為、有望な社会事業も投資先として認知されずに資金難に陥り、市場撤退せざるをえない状況に陥ることも少なくない。貨幣価値だけでなく、社会的価値の評価を可能とする市場を作りあげたい。貨幣価値だけに頼らないIndexを作ることで、投資家としても参照出来るIndexが複数となることによる市場の成熟化を期待出来るのではないかと思っている。

②    「Social IPO」を築き上げる

通常のベンチャーが株式上場を果たしExitしていくように、ソーシャルベンチャーのExitとは何か?を定義は未だに議論の的。ソーシャルベンチャーの目的が、利益の極大化ではないからこそ、規模の拡大やコストの低減・資金の有効活用等へのインセンティブが働きにくいから。しかし、「Social IPO」という定義を築き上げることで、ソーシャルベンチャーが目指すべき一つの指標が形成され、市場での拡大スピードを加速化させていけるのではと期待している。

③    Translatorとしての役割

今後のソーシャルセクター活発化には、ビジネスパーソンと非営利組織の関係者とをつないでいくことが非常に重要。Traditionalな非営利関係者のマインドセットは、自分達が事業に従事している理由は、金儲けのためでもなく、他者から評価されるためにやっているわけではないというもので、自分達の事業を伝えるという視点で非常に弱い部分がある。

どんなに優良な非営利組織でも、資金確保が出来なければ継続事業をしていくことは不可能。その意味でも、資金の出し手が多く理解する金融市場の言葉で、非営利セクターの価値を翻訳し、発信することに大きな意義がある。まずは理屈で攻めていって、最後いかに情にほだすことが出来るか。

お話を伺っていく中で、伊藤さんの関心の矛先にあるのは、社会的変革を個人ベースで起こすのではなく、社会の市場構造の中にソーシャルセクターのシステムを築き上げることにあるということがよく分かってきました。昨今注目されている社会人が自身のスキルを生かしてボランティアをする「プロボノ」についても、個人の専門知識を機能としてマネジメントに転用しているだけで、これを個人レベルからいかに市場形成出来るまでのシステムに落とし込めるかが鍵なのだと話されていたのが非常に印象的でした。



Q&A

Q1.現在エコノミックリターン(monetary value)によって判断されている市場に投資家が社会的リターンを一つのファクターとして投資価値を判断する日が来ると思いますか?

A1.社会的価値が貨幣価値と同等に評価される市場が形成されれば、後はマーケットにゆだねていってもうまくいくのではないかと思います。



Q2.社会的リターンを数値化していくためには、今の会計基準・通貨基準を改定する必要がと思いますが、この点はどう移植していけると思いますか?ソーシャルセクターだけでなく、ビジネスセクターにおいての改定も必要となってくると思いますが。

A2. 私の関心事としては、どちらかと言うと非上場の前のスタートダッシュの段階へのアプローチを強めていきたいというところにあります。社会的価値を評価可能なIndexを構築することで、ソーシャルな市場を形成していきたいと思っています。

Q3. 社会的課題の大きさ=団体としてのポテンシャリティーはイコールではないと思いますが、どうやって投資先を選定していますか?

A3. 投資基準は設定していなせん。各社会的課題のプライオリティは設定出来るものではないと考えており、イシュー自体が重要でポテンシャルがある団体には支援すべきと考えています。基本的にはパートナーが数ある非営利組織から選んできた投資先候補先から投資先を選ぶ形で進めており、結構主観的に選定していると言えるかもしれません。ただ、SVP東京もと同様に一般の営利企業が投資先を選定する場合も経営者の決断に拠るところであり、公的機関でもないのでこのような形態をとることには問題ないと考えています。

Q4. GE在籍時、昼間の会社員の顔と夜の趣味の仕事(SVP東京)を抱えていたとおっしゃっていましたが、今の伊藤さんは趣味の仕事が本業になっていると思います。よく趣味を仕事にすることは公私の境目がなくなり厳しいと聞きますが、実際はどうでしょうか?

A4. 確かにGEで会社員をしていた際には、趣味の仕事が楽しくて仕方なかったのですが、それが本業となってくると平日も土日も同じ仕事をすることになります。初めはいいのですが、段々好きなことのはずなのに、カラダが動かなくなる時が来ます。(苦笑)

GEにいた時のほうが稼働率が高かく、生活にメリハリが高かったように感じますが、今は逆に週末は散歩したりスポーツをしたいとカラダを動かすようにしていて仕事以外のことをするようになってきました。

伊藤さんの話に皆引き込まれ、活発な質疑応答が交わされると、残り時間もあっという間に。ディスカッションとしては通常より短い時間となってしまったが、伊藤さんのお話を踏まえた上で、以下二つのテーマについてグループに分かれて話し合いました。



1. 日本のソーシャルセクターに欠けているものは?

2. 自分のスキルをどうソーシャルな活動に生かしていけるか?



ディスカッション時間が10分という悪条件の中、参加者の皆さんからは活発な意見が飛び交いました。



1. については、人材の流動化、つまりビジネスセクターからソーシャルセクターへのキャリアチェンジを活性かすることやソーシャルセクターにおいてキャリア形成することへのインセンティブを提供してはという話が出てきました。

これに対して、伊藤さんからも政府が約70億円の予算を社会企業支援に使おうとしているが、より優秀な人材を投入していけるように、ソーシャルセクターの就職を希望する人々に対して、年収UPを目的として助成していけば大きな労働力のシフトが起こるのでは?とお話がありました。



2. については、誰しもが何かしたいという思いは抱えていても、「今の自分に出来ること」と「ソーシャルな活動にいかせること」をつなげていく作業に難しさを感じているようでした。これは日々の毎日の中で模索していくしかないのでしょうね。



コンパスポイントへのメッセージ

このコンパスポイントという集まりはすごいポテンシャルを持った場だと思います。今日お話したTranslatorとしての役割を担っていける皆さんだと思っており、非常に期待してます。非常今後各々がソーシャルセクターへの道を踏み出すのかはタイミング次第ですよ!

僕の場合は、35歳でISLへ転職しましたが、自分としては新たな道へ進むのに遅すぎたのではないかという焦りの方が大きかった。自分のやりたいこととは?自分の仕事で出している付加価値とは?会社勤めすることでお金は貰えるけど焦っている状態でした。

皆さんが困ったときには就職相談になるので、是非頑張っていってください!



伊藤健さん、ありがとうございました!!

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Cookwalker vol.1開催! http://compasspoint.asia/archives/968 http://compasspoint.asia/archives/968#comments Wed, 05 May 2010 11:00:55 +0000 daichi http://compasspoint.asia/?p=968 2月6日(土)コトラボ×コンパスポイントの企画第一弾として、Cookwalkerを開催しました。

横浜の石川町駅から徒歩5分、ドヤ街、さびれた町、寿町。

「寿町のリソースを活用しつつ、外から人を呼び込んで、寿町とその周辺に新しい人の流れとつながりをつくること 」(詳しくはこちらを参照)

を目的とした企画の第一弾であるCookwalkerは、ヒト、マチ、(オイシイ)モノという3つの新しい発見が楽しめてしまうイベントです。

コトラボ×慶應義塾大学で寿町の外れに作られたコモンスペース「かどべや」のキッチンスペースと石川町周辺の「オモシロイ」リソースを利用した、料理と街歩きの融合がCookwalkerです。その日何かしらの縁で集まった初めて会う仲間と、地元商店街やアジア食材店が立ち並ぶエリアで町を知ってもらい地元の人たちとふれ合いながら材料を調達して、オイシイモノをみんなで作って食べる…

当日は男女8人で4人ずつのチームを結成し、与えられたレシピと地図をもとに制限時間内に買出しをし、ミッションクリア(!?)を目指しました。 また、コトラボ代表の岡部さんからのお話や、岡部さんエスコートのもとプチ寿ツアーを行うなど、ただのお料理イベントではない、+αの発見やウラ石川町、新しい横浜を楽しんでいただきました。

*当日のメニュー
●チンジャオロース
●海鮮チヂミ
●タオフーパットプリァオワーン(タイ料理)
●アジのなめろうと塩焼き


レシピカード並べ替え


調理風景


料理を囲んで


わきあいあい

コトラボとは
CP16のゲストスピーカーである岡部さんが代表を務める会社で、「モノづくり」ではなく「コトづくり」から「マチづくり」を提案しています。その事業の中に、日本三大ドヤ街のひとつである横浜の寿町(寿町のプロモーションビデオはこちら)の活性化があり、私たちコンパスポイントのプロジェクトチームが関わらせていただいています。現在私たちは主に「かどべや」利用の展開方法に試行錯誤中です。

*次回開催も決定しており、今後も継続してイベントを行う予定です。
Cookwalkerに関するお問い合わせは cookwalker.organizer*gmail.comまで、お気軽にご連絡ください。(*を@に変更してください。)

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